八月四日(木)に大会後初めての例会を開きました。参加者は十一名。
テーマは、本誌八月号の特集「東日本大震災特集――原発事故を考える」。報告者は北村隆志さんにお願いしました。
前半で、特集中の岩渕剛「竹本賢三の原子力発電を描いた作品」および馬場徹「畏るべきフィクション――藤林和子『原発の空の下』の今日性」の二論文にしぼり丁寧な考察を加えその意義を論じ、後半は、「東日本大震災と文学者」と題し、震災後どのような文学作品が文壇に生まれ、またどのような文学者の発言があったか、レジュメと資料を用意して、作品と発言の詳細な内容紹介に及びました。
岩渕論考に関しては、一九七六年から一九八七年まで、約十年間に描かれた八作品がどのようなものであったかだけでなく、作品から作品への流れを「現実をとらえる視点の深化のプロセス」として読んでゆく方法を高く評価し、報告もその展開に即して検証するもので、末尾に記された結論(略)は的を射たものだと結びました。
馬場論考についても論者の意図に寄り添って好意的に論じ、とくに一二二頁下段の原子力発電所の労働現場が外部の人の目に触れないかつての炭坑夫の労働状況と似ており、「被曝しながらの労働が続けられていた」事実を描写する小説の件を引用している箇所は、エネルギー労働としての共通性を射抜くものとして優れていると指摘、作者の憤怒の深奥に「えいさらえい」の声を聞くという結びは「少し苦しいかな」とこの段を閉じました。
後半の内容は割愛。討論では馬場論考が提起したなぜルポではなくて小説で書いたのかという問題に注目した参加者から、これほどの状況となると小説よりついドキュメンタリーに惹きつけられる、いったい小説とは何かという意見が出され、議論が盛り上がりました。ルポは事実を知らせるのが目的、小説は理想を描くものという報告者の警句にてお開きとなりました。
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