「批評を考える会」 <2011年4月> 

 


 四月二十七日開催の「批評を考える会」では、北村隆志「告別の人 右遠俊郎論」(本誌・本年一月号掲載)が取り上げられた。北村氏も出席、報告者は新船海三郎氏、司会は宮本阿伎氏で出席者は計十一名。
 新船氏は先ず北村氏が冒頭で右遠俊郎について「倫理の人」と定立していることに、主人公=作者としているようだ、主人公、作者双方についての論証が不足している。また「告別の人」と定立していることにも、仮にそうであるならより精緻な論証が必要ではないかと指摘した。次いで北村氏は本誌二〇〇五年八月号に「ニヒリズムからコミュニズムへ――右遠俊郎と朝日訴訟」を書いているので、今回この前作には触れないとしているが、今作へ至る五、六年の間に、北村氏自身どう読み方が変ったかが知りたかったと注文された。また、三島由紀夫が戦争という狂気時代を「素通り」したが右遠はそこを批判して自らの戦争体験を書き出したという問題への北村氏の着眼を評価する一方、「事実の小説化」などの言葉については軽いと思うとし、また「軍国主義教育下……プラトニック・ラブの非人間性の問題」、「不当な異民族支配における無自覚な加担」などについての北村氏の分析には批判的検証を加えた。総じて北村氏の今回の評論に、新船氏の指摘は数多く、しかも深いものがあった。新船氏は最後に「書きたい作家を持つことは大切だ」と発言されたが、これは出席者への土産となっただろう。
 報告の後、出席者からは植民地生活経験者として右遠氏の作品は参考になる、批評は言葉の翻訳や紹介で終わってはならない、批評としての知覚、感覚を潜らせた創造性の問題があるのではないか、「六『風青き思惟の峠』と青春への告別」で北村氏は「ここを読んで思わず泣いた」と書いた部分に触れて新船氏が「同時に圧政さえ潰せない青春と自立した個に注視し、仲間との連帯、そして別れを書いたのが右遠俊郎の作品」だと指摘するなど多数、多岐に及んだ。
 最後に北村氏から「私の評論を検討される機会を得られたことに感謝する。圧政の下での『個』の自立などさらに考えたい」と発言された。
 
(稲葉喜久子) 

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