「批評を考える会」 <2010年2月> 

 


 二月二十四日(水)、九人が参加して「批評を考える会」が行われた。本誌十二月号掲載の岩渕剛「加藤周一『日本文学史序説』を読む」を参考文献として、加藤周一『日本文学史序説』より「日本文学の特徴について」(上巻)を中心に三浦健治氏の報告がなされた。報告は明快な論法で好感がもたれた。岩渕氏も三浦氏も加藤周一の著作へのアクセスは十代、二十代、三浦氏の場合上巻二十七歳、下巻三十一歳だったそうである。三浦氏はかつて加藤氏の詩論等に疑問を抱いていたが(現代詩を第二芸術論と見る見方など)、自分の知っている文学・思想のいくつかを『日本文学史序説』の理論で、このたびとらえなおしてみると、なかなかよくあてはまることが多いことに気づき、加藤周一は単に知識教養が豊かなだけでなく、独創的な着想力を持った評論家なのだとあらためて見直したという。前置きから始まり、なお留保をおくところについても率直に語られた。
 三浦氏の報告の主要点を短くまとめる。「世界観的背景」では日本人の世界観が歴史的にどう変わってきたかを論じている。加藤氏は自分を西洋の側におき、日本の土着の世界観が、いかに根強いか、外来思想をも土着の世界観にもとづき「日本化」してしまう。外来の世界観を仏教と儒教と、キリスト教とマルクス主義とし、この四つはすべて包括的な体系であり、抽象的な理論をそなえ、仏教とキリスト教は彼岸的で、儒教とマルクス主義は此岸的だけれども、いずれも超越的な存在や原理との関係で普遍的な価値を定義しようとしている。超越的なものとは大乗仏教の仏性、キリスト教の神、儒教の天または理、マルクス主義の歴史を指している。超越的な価値観を持った外来思想は日本人に強い影響を与えたけれども多くの場合、土着の世界観の影響を受けて「日本化」されたと加藤氏は論じる。
 さらに三浦氏は加藤氏の言説を要約し、政治論にも修辞論にも解消しないオーソドックスな文学批評であり、世界的な一般論から、日本の独自性の考察に及んだところに多大な教えを受けたと述べた。
 留保点としては加藤氏の論法は「少数派」を例外として切り捨て、目立つものだけを「西洋型」「日本型」と問題を単純化していることだと述べた。そもそもあらかじめある固有のもの、土着のものとは何なのか、日本人が宿命的に背負っているものなのか。日本の文化・思想はそもそも雑多な多種多様なものがせめぎ合って変化発展している歴史過程だと三浦氏は対比的にとらえている。三浦氏は最後に今回、約三十年ぶりに「日本文学の特徴について」を読み返して、その後、蓄えてきたわたしの知識をこのようにぶつけても、加藤氏の本の輝きはまったく失われていないと感じたと述べられた。討論では、現在政権交代はあっても、頑固に変わらないものがある。それが何かを考察・検証しているこの書に今学ぶべきことは多いなどの意見が出された。
          
(坂田宏子)

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