「批評を考える会」 <2009年4月> 

 


 四月十六日、『國文學』(学燈社版)二〇〇九年一月号「再読プロレタリア文学」特集所収の岩渕剛「徳永直『太陽のない街』とその周辺」をテーマに、十五名が参加して行われた。
 報告者北村隆志氏は、「作品論に及ぶことは避けられない」と断りながら、岩渕論考が指摘するように、題材となる争議の指導者が「労働運動の中から」作家として『太陽のない街』(以下『街』)を書いた点に特徴があると述べつつ、同時に、浦西和彦氏の指摘のように、一九二六年一〜三月という実際の争議期日を動かし、反軍閥勢力が伸びた同二四年総選挙や二七年の若槻内閣総辞職を作中にちりばめても、作品の「社会性」には繋がらないと指摘した。
 また、作中「綿政」と表記される共産党の渡辺政之輔らしき人物の関与は、実際の共同印刷争議では最終局面以後に過ぎず、上野山博氏によると、実際の争議は、題材となった二六年の争議に先立つ博文館争議での労働者側勝利の幻想に溺れた現地幹部が、産別労組指導部の消極姿勢を押しのけて、共同印刷資本の挑発に乗ったために起きたらしいのに、作中では逆に書かれており、そこに、後の徳永の経歴に現れる労働者と指導者層とを対立的に捉える見方の萌芽が見られると指摘した。
 さらに、岩渕論考で「争議経過を基にしつつ新しい世界を作り上げ」たとされる個性的な人物像についても、萩村・高枝・加代・宮池などの形象は成功しているが、他の登場人物像は散漫で、その意味で「努力」が見られるという論考の表現が的確であると述べた。
 最後に、『街』で若者が敗北を認めず争議団旗を持って退場する場面や、後作『失業都市東京』で、争議敗北後運動を再建しようとする高枝の姿を描いたことは、当時の読者の要求と徳永自身の願望であろうが、岩渕論考に言及がある広津和郎の指摘のように、書かれた客観的世界は主観的願望と分裂していた。しかし、そのような「敗北の過程を描く」宿命を帯びつつ、一見サイドストーリーのように見える加代と高枝の悲劇を軸にして、情感豊かに人間像・労働者像を描いたところに、岩渕論考でいう「作者の意図を超え」た徳永の最大の成功があるように思うと結んだ。
 討論では、出席者各自が『街』を読んだ感想を述べ、表現の斬新さや躍動感を指摘する意見が多く出された。また、事実経過との違いなどは文学作品として当然であるが、現在から見ると『街』の虚構性は成功していない、ただ争議を素材にして長編が書かれた点に当時としての新しさがある等の意見が出された。
(松井 活) 

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