「批評を考える会」 <2009年2月> 

 

 二月二十六日に今大会期九回目の「批評を考える会」を開きました。参加者は八名。この日のテーマは、前田愛著『都市空間のなかの文学』(八二年刊行)から、「二階の下宿」(「浮雲」)と「子どもたちの時間」(「たけくらべ」)の二篇。報告は宮本が受け持ちましたが、はじめに「序」や「あとがき」を手掛かりに本書の研究方法の特徴などについて触れました。 
 本書収録の各論考は、一九七五年前後「都市と文学を結びつける発想」が「知の世界」に姿を現し始め、「現象学や記号論の成果を足がかりとして、自分なりに日本近代文学の流れを都市のコンテクストにそくして辿りかえしてみようとした」狙いから書いたものであること、その際「日本近代文学を自我の発展史として鳥瞰するこれまでの文学史研究のパラダイムにたいする異議申し立て」が念頭を去らなかったこと、また「作家主体と自我の中心化にこだわるあまり、袋小路に入り込んでしまった観がある近代文学史研究に風穴をあけてみたかった」などの著者の言葉を紹介し、本書がポストモダンの系譜を引くものであること、近代文学史の〈見直し〉をモチーフとしていること、都市論の盛行を背景としていること、また今日のアカデミズムの場に絶大な影響をおよぼしていることなどについて語りました。
 続けて、従来の研究(片岡良一「浮雲」論ほか)を一方におき、読み比べるかたちで二篇の作品論の鑑賞を試みました。内容は略します。「この論には作家がいない」と参加者の一人が発言されましたが、作家の影を消し去って、「浮雲」や「たけくらべ」を、「住まいの空間」(園田家の屋内)や「子どもたちのアソビの場」(吉原に隣接する大音寺前)の解読から逆照射し、作品の構造を把握する方法の本質を的確に言い当てています。また作者の意図やプロットの展開に目を奪われて見落としがちな細部を、動的に、立体的に浮かび上がらせる手法に演劇性を感じたという発言もありました。
 明治の都市空間や言語空間に関する情報が多い、ユニークでゆたかな読みの内容に一同圧倒された面持ちでしたが、近代の諸矛盾がいまだ解決されていないどころか激化してさえいる今日において、たとえば「二階の下宿」が内海文三を相対化してとらえる見方を提示しているのにたいし、「封建的な役所のあり方故に文三の自我が圧し歪められている」(片岡)と見る、時代や社会の機構と人間の関係を個人尊重の思想と科学的な探求精神をもって考察する研究の方法もなお有効であることを当夜の一致点としたことも申し添えておきたいと思います。            
(宮本阿伎)

「批評を考える会」に戻る