「批評を考える会」 <2008年10月> 

 水村美苗の評論 「日本語が亡びるとき─英語の世紀の中で」


 十月二十三日の「批評を考える会」は、雑誌『新潮』九月号に発表された二百八十枚の水村美苗の評論「日本語が亡びるとき─英語の世紀の中で」をとりあげ、二十人が参加した。報告者岩渕剛氏は、この評論は七章から成るということだが三章までしか発表されていないなかでの報告になるとして、おおよそつぎのように話した。
 評論の主旨は、現状の日本文壇への批判である。著者は、世界作家交流会へ参加し、リトアニアとモンゴルの作家がロシア語で交流し、ボツワナの作家が英語で小説を書いていることを知り、母国語と小説、普遍語になっている英語と小説について考えはじめた。いま日本人は、日本語と英語の中で生きなければならなくなったが、たいした作品も生んでいないし、亡んでしまうのではないか。ヨーロッパの作家から、「日本には近代文学があるから亡びない」といわれる。著者は、日本が公文書として日本語を使ったのは、五箇条の御誓文(一八六八年)が初めてであり、日本の言語の第一歩となった。さらに、日本近代文学誕生の基となったと。
 岩渕氏は、日本語の公文書使用開始時期は七、八世紀に遡るとし、著者の認識の誤りとその上に立つ日本近代文学誕生論を批判した。一方、明治初期から外国文学を英訳で読んできた先達は、普遍語について考え、日本語の研鑽を積んできた。その歴史に現状打開の方向を見出さねばならないと、結んだ。
 「こういうことに心をくだいている文学者がいることを知らなかった」、「著者は十二歳から二十年間アメリカでくらし、日本近代文学に詳しい」、「日本は世界一短い詩『俳句』をもつ国。日本語の小説は亡びない」、「日本文学の世界での普及は十番目ぐらいだときいている」、「著者の提起は、いかに言葉を共有できるかにある」、「未完の評論を云々するのは考えものだ」、「著者は警鐘を鳴らしている。われわれとしてもこういう観点は大事」との意見、
 感想が話し合われ、最後に報告者のご苦労と博識に拍手!!  
  (柏木和子) 

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