「批評を考える会」では、この四月二十四日の例会をその第一回として、従来のプログラム(折々の話題評論と「戦後民主主義文学運動をふりかえる」のシリーズとをほぼ交互におこなってきた)にくわえて、「戦後批評研究」の柱をもう一本新たに建てることにしました。各時代の文学思潮、動向を反映していると目される過去の著名評論を渉猟し(時系列に即すことには拘らず)、創造と批評の今日における課題を導き出すよすがとしたいという提案です。
今回は、八八年に刊行された、大江健三郎著『新しい文学のために』(岩波新書)をテキストに選び、三浦健治さんに報告をお願いいたしましたが、三浦さんは、A4で「百枚ほども!」ありそうな分厚い原稿を机上において、まことに熱のこもった報告をしてくださり、頭を垂れずにはいられませんでした。テキストは、三十年前に書かれた『小説の方法』のいわば普及版、大江には二冊目の文学入門書にあたります。新しい書き手に小説の方法論ばかりでなく、「どのように文学に向かうか」「なにを書くか」をも語りたいというモチーフから書かれた書とまず説明、続けて、大江が一九七〇年代後半に影響を受けた構造主義について、またその先駆として位置づけられるロシアフォルマリズム(一九二〇年前後にソビエトで提唱され、一九七一年に日本で紹介された。大江がこのテキスト前半で展開している「異化」理論の淵源)について、その歴史的背景を追い、マルクス主義の立場から、分析・省察をおこないました。
まさに矢の如しの言葉の迸りは圧巻で(メモをとるのに苦慮した!)、大江文学の現在にいたる文学的、思想的変遷の過程や、三浦さん自身の大江理論への見方の変化もまじえて、今日の実作上の課題を考えさせずにはおかない有意義なお話でしたが、休憩時に参加者から「討論」の時間も欲しいという要望が出され、「異化」について論じた「5」の章までで打ち切り、「6」章以下は次回(六月例会)にご報告いただくことにしました。
討論では、大江の「異化」理解をめぐっての論議が中心となりました。もとより詩論として提唱された「異化」理論は小説においてどのような役割をはたすのか、小説の言葉は、「伝達」以外のもの、「数量ではない」「概念ではない」「自動化された言葉ではない」、「目に見えるようなもの」「感性に突き刺さってゆくもの」「常識をひっくり返すもの」など、三浦報告の「解明」に呼応してのことですが、「異化」は「形象化」という言葉に重なるのではないか、通俗性の反措定としてとらえることが大切ではないか、などの意見が出されました。参加者は十一名。次回は、テキスト後半で論じられている「想像力」についての話が中心となると思います。一回目のまとめもしてくださるそうですから、二回目のご参加、大歓迎です。
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