■■ 「批評を考える会」 <2007年10月> ■■

 


 第二十一回大会期初の「批評を考える会」が十月十八日に開催されました。テーマは、岩渕剛氏が継続中「戦後民主主義文学運動をふりかえる」シリーズの第七回「文学同盟第二回大会前後(一九六七年当時)―『統一戦線的創作方法』をめぐって」でしたが、参加者は七名、活発で有意義な議論が展開されました。
 「報告」は、一九六七年一、二月号に掲載された座談会「創作方法をめぐって」をきっかけに「創作方法」をめぐる論議が沸騰し、第二回大会「主報告」(霜多正次・『民主文学』同年六月号)に反映され、以後六七年から六八年にかけて、『民主文学』で「創作方法」をめぐる論稿が相次いで発表された経過をたどり、当時何が論点になっていたかを明らかにするものでした。「座談会」からは、「創作方法というのは現実に対する基本的な態度、現実を芸術の中にいかに再現するかという基本的な態度」(蔵原)「ひとりひとりの作家が手法・技術をふくむ方法の意識で、主体的に豊かな形象を創造していかなければならないものとして提起されている」(西野)が引かれ、「主報告」からは、文学統一戦線の拡大強化がいま緊急の課題、「文学者の社会的政治的統一行動の問題だけでなく、創造面での協同と相互発展を目指す統一戦線の問題であり、労働者階級の革命的民主主義文学も、この相互協力のなかでしか発展しえないのである」「創作方法の問題は、この統一戦線の観点から深められなければならない。つまり現実を、労働者万能的な狭いセクト的な立場から主観的にとらえるのではなく、民主的民族的統一戦線の立場から、ひろく全体的にとらえ、その複雑な構造と本質を見きわめ、歴史的発展の方法をさぐるという方法によって、それは深められなければならない」という箇所が引かれ、さらに「大会での発言」としては、「統一的創作方法を探求してゆくということが可能だし、また必要になっているのではないか」(津田)が紹介されました。
 「統一戦線的な視野は重要」だが「社会を発展的にみる観点だとか、人間や社会を一面的にではなくとらえるとかいろいろな面があって、統一戦線的視野ということだけ強調して、統一戦線的創作方法というふうに言うと、複雑な創作方法の問題を単純化して」しまうという反論(蔵原)も、足柄定之さんの当時の文章によって紹介されましたが、報告者が明らかにした論点は、以上二者の「発言」に集約されていると理解してよいかと思います。
 当時にあっても、「創作方法を一つに決めていないこと」を前提に論議がおこなわれていたこと、四十年前の言葉づかいで論じられているが、中身はいまも考えられてよいことだ、とくに「主報告」で「創作方法上の弱点」として指摘されている「主観主義」「経験主義的な傾向」の問題をとらえれば、ここではよいのではないかと報告は締めくられました。討議では、「言葉の定義にひっかかる。なぜ(当時の論争者たちが)こんなに熱くなっているのかわからない」「いま主観主義はあまり見られないが、経験主義はある」などの意見が出され、二次会まで持ち越されました。
 
 (宮本阿伎)

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