第6回 「民主文学」 新人賞 選考経過 第六回民主文学新人賞は2005年1月末日に締め切られ、小説37編、評論2編、戯曲0編の応募がありました。すでにお知らせしましたとおり、第一次選考通過作が小説九編、評論二編となり、3月15日に選考委員会が、稲沢潤子、小林昭、澤田章子、津上忠、平瀬誠一の5委員出席のもとに開かれました。そしてまず、小説六編、評論二編の最終候補作品を選び、その中から次の受賞作を決定しました。作品は「民主文学」05年6月号に掲載されます。 最終候補作品 <小説> 秋元 いずみ 「銀の鳥」 小栗 利郎 「朝焼けの雲」 川村 俊雄 「R町往還」 小西 章久 「冬に咲く向日葵」 須藤みゆき 「冬の南風」 古川 武男 「雪踏み」 <評論> 下田 城玄 「『近代文学』派と宮本百合子」 馬場 徹 「自己と時制の意識について」 新人賞(記念品および賞金十万円) <小説> 秋元いずみ 「銀の鳥」 ●1979年岐阜県生まれ。岐阜県羽島郡在住佳作 <小説> 須藤 みゆき 「冬の南風」 (1967年東京都生まれ。千葉県四街道市在住。文学会準会員) 小栗 利郎 「朝焼けの雲」 (1942年岐阜県生まれ。愛知県岡崎市在住。文学会準会員) 選評 人間への模索の大切さ 稲沢 潤子 新人賞は秋元いずみさんの「銀の鳥」に決まった。私は若い秋元さんに申し訳ないけれども、須藤みゆきさんの「冬の南風」を推した。 この二作に入票が集中し、議論となったが、何を文学の核とするかで選考委員の間に根本的な意見の相違があり、互いの主張は若干の例外をのぞいては平行線をたどるばかり。双方にまったく影響を与え得ないとわかって、多数決で結果を出すことになった。 秋元さんは若く、民青のコンクールでもよい成績を残した人のようで、文章力もあり、小説作りに器用な人だと思う。しかし、子どもの虐待に心を痛めるという話は、これまで民主文学でも書かれてきており、作者の視線に固有の新鮮味が感じられない。文章はきれいに書けているが細部の厳密さに欠け、講演会に行って展望を見つけようとする結末もパターン化していると思った。若いので、これからいろいろな力を発揮するだろう。そこへ期待をかけたいと思う。 須藤さんの「冬の南風」には、導入部が冗慢でなかなかストーリーの核心に入っていかないことなど、以前の作品に比べると欠点はある。しかし、自己確立のために模索するという最も大切なものを須藤さんは備えている。突然ありったけの声で叫びだすという奇行は、人間関係の希薄な現代社会を映しだすものとして独特のリアリティーが感じられる。着想を大切に、一字一句心をこめて書かれればもっとよかったと思う。惜しいチャンスを逃したが、持てる力を大切にマイペースで頑張ってほしい。 小栗利郎さんの「朝焼けの雲」は、共産党員の奮闘がさわやかで、覚えず心が洗われた。暗い作品ばかり読んでいたので、ここへ来て頭脳清浄の快感を覚えた。 評論は二作品ともよく調べているが、下田城玄さんは後半になって論が宮本百合子とかみあわず、馬場徹さんは例にあげた作品が不適切で論証不足のまま切りすてている感があった。 生きることと虚構 小林 昭 秋元いずみ「銀の鳥」は、最近目立ってきた実の親による子への虐待を題材にしていた。病欠者の代替として短期間赴任した臨時教師の眼でそれを見たものだ。彫りは浅いが飾らない若い文章は、作者の柔らかな感性を見せていて、新人賞に価するだろう。 放置できない実態を訴え、放置している周囲のありさまをこれでいいのかと描いて、境遇に耐えている少女へのいとしい思いはわかる。 だが、実子虐待という社会病理を、教師の眼が現象として観察していると思った。読んだあとに、虐待という問題は残ったが、母親の個性や臨時教師の個性があまり見えてこなかった。それには校長やアパートの家主の老婆が類型であったせいもある。 問題をおおやけにして事態が紛糾したときに責任を取るのかと問われたら、学期末にここを去ることがすでに予定されている臨時教師には、何も答えられないだろう。その悔しさも含めて、作者には、この小説の単に視点としてでなく主人公に選んだはずの若い臨時教師を、根こそぎ生きてもらいたかった。 須藤みゆき「冬の南風」は、冒頭部分がとくにそうだが、読んでいて退屈な文章が多かった。だが、私はこれを新人賞に推した。 生きる理由や、現実と向かい合うときの自己の孤絶感、「……である」ことと「……のふりをする」ことの違いの曖昧さ、引き摺っている過去など、ここにあるのは、現代の若者がつねに持て余している自意識だろう。 それが偶然の幼女の侵入から、やがて人みなが持つ理由の知れない連帯感に気づいている。生きることの無意味さから、たといそれがどんなものであろうと、生きること、それはよいことだ、という肯定へ向かう予感がある。 センチメンタルなおとぎ話だが、一つの虚構の世界を構築する力に可能性を見た。 小栗利郎「朝焼けの風」については、もう誌面がない。 新人賞の結果がつくっていくはずの今後を、全応募者に期待している。 若い力に期待 澤田 章子 今回の新人賞への応募は、十代から七十代にわたる幅広い年齢の各層から寄せられたことと、八十枚以上の分量をもつ創作が四割を越えていることが印象的であった。 受賞作には秋元いずみの「銀の鳥」を推した。一次選考通過者中最年少の書き手だが、落ちついた丁寧な文章で書かれ、小説のつくり方を心得ており、テーマも明確で読ませる力をもっていることに感心させられた。 専任教師を増やさず非常勤や臨時教員を多用する小学校、児童相談所の人手不足など、教育や子供をめぐる社会環境にも目を向けつつ、親から折檻を受ける子供の心をみつめ、臨時教員の悲哀を描いているところに共感を覚えた。今後の研鑽に期待したい。 須藤みゆき「冬の南風」もまた、若い世代ならではの作品である。「私」と近所の青年との擬似的な夫婦めいたかかわりなど、不確かな人間関係に今日性を感じさせるが、「壊れていく自分」への切実感に迫りきれないところが気になった。 日本共産党員のビラ配りや選挙活動の電話かけを題材にした小栗利郎「朝焼けの雲」は、働きかけてゆく一人一人の顔と心を読みとろうとする実直な活動ぶりがそのまま文章となって、これという波瀾のない話にもかかわらず読む者の気持ちをそらさない作品である。 選には洩れたが、古川武男の「雪踏み」に心が残った。出奔した実母にかわって父のところへ来た義母と、その連れ子で知的障害をもつ義弟との心の通いあいを描いた作品。題材への思いの深さが、雪景色の描写の迫力となっており、目の底に残るような作品である。 評論では、馬場徹「自己と時制の意識について」と下田城玄「『近代文学』派と宮本百合子」が、二次選考まで残りながら受賞に至らず残念であった。ともに力のある書き手で、学ぶところも多いものだが、独自の批評の展開にもの足りなさを感じた。解説的にせず、探求の姿勢を大切にしてほしかった。 選評 津上 忠 小説というものは自由な形式であることにはちがいないが、他人に読んでもらうということが前提になるのではないか。いくら自分史的な体験を記述するとしても、その点、書き手は意識する必要があると考える。今回の応募作品を読みながら、総じてそういうことをわたしは感じた。 入選作となった「銀の鳥」(秋元いずみ)は、補助教員の秋子なる主人公が、自分の受けもつクラスの一人、母子家庭の児童、架(か)南(な)の作文がよく書けていること、また身体検査をしたときに背中にみ(・)みず(・・)バレの傷を受けていることを知って関心をもち、家庭訪問などをしたことをキッカケに、虐待は母親によるものであることに行きつく。補助教員という立場と学校環境とがからみあって、その解決に苦闘するあり方がよく描かれ、短篇小説としての紙幅のなかで起承転結のまとまりが感じられる。 次いで佳作となった「冬の南風」(須藤みゆき)と「朝焼けの雲」(小栗利郎)であるが、前者は「私」(大学の研究助手)というイズミなる女性が十五年間、書き続けてきた日記を紐解く形で「私」が母一人、娘一人で育った軌跡を、孤独な女としての語り口で展開していく。同じアパートの隣室に住み、学習塾をやっている「渡辺くん」と知るなかで、ときどき奇声を発する「私」の奇病を打ちあけ、いつしか気のおけない仲となって、ついには二人の愛に目ざめていく。そこまでに至る作者の仕組んだ小説としての仕掛けが面白いが、それは作品にゆずる。後者は、選挙におけるビラ配り、電話かけ、名簿づくり等、そうした地道な活動への誠実な共産党員の思いが、素朴な臨場感をもって、よく描かれ、感動的である。 ほかに、下請けの印刷労働者が組合に加入し、メーデーに参加していく過程をえがいた「風薫る」(矢ノ下マリ子)、また非行高校生の立ち直りをえがく「冬に咲く向日葵」(小西章久)は、作品としてのまとまりがあり読ませる。わたしとしては今後に期待する。 「銀の鳥」を推す 平瀬 誠一 最終選考にあたって、私は受賞作を秋元いずみ「銀の鳥」に決め、佳作に須藤みゆき「冬の南風」、小西章久「冬に咲く向日葵」を選んでのぞんだ。 結果は「銀の鳥」「冬の南風」は入選したが、「冬に咲く向日葵」は残念ながら選に洩れた。 受賞作の「銀の鳥」は、自分を虐待する実母をあくまでもかばい続ける小学四年生の少女と、その少女の苦しみに寄り添う臨時雇いの若い女教師のナイーブな心理と行動を描いた作品で、過酷な現代の断面を切り取ったものとなっている。その筆づかいも、二十六歳という若さにもかかわらず手堅く、過不足のない仕上がりとなっている。とりわけ、必死に母をかばう少女の寡黙の形象がいい。この学期で学校を去らなければならない女教師の哀感も伝わってくる。 「冬の南風」は、受賞をのがしたものの、母子家庭で、苦労の果てに死んだ母への屈折した思いをかかえる若い女性が、アパートの隣室に住む青年と、見知らぬ母親から庇護を依頼された幼女との〈擬似家族〉をつくる物語で、なかなか興味深いものだった。生き難い時代に居場所をさがすというテーマもきわめて現代的である。しかし、この〈擬似家族〉という設定が、その後のストーリー展開の中で充分に生かしきれているようには思えなかった。 「冬に咲く向日葵」は、差別選別教育の中で、低学力校に進んだ主人公の屈託と反発をリアルに刻み込んだ作品で、なかなかの力作だと思ったが、多くの人の同意を得ることはできなかった。 もう一編の佳作には小栗利郎「朝焼けの雲」が選ばれた。この作品は、参議院選挙の時に対話の電話がけをする日本共産党員の話で、このような題材は割とあるようでない珍らしいものといえる。全体的に表現に難があると思ったが、強く推す人がいて、それに同意した。 |