佐藤静夫さんの米寿と出版を祝う会 | |||
佐藤静夫さんの米寿と評論集『八月からの里程標』(光陽出版社)の出版を祝う会が、六月十日、埼玉県・所沢パークホテルで開かれた。佐藤さんが公の席に顔をだすのは久しぶりで、お会いできるのが楽しみであった。会場の入り口には佐藤ご夫妻が椅子に座っていて、私も久しぶりの挨拶をかわした。文学会の仲間を初め、大学時代の同僚、上智
佐藤さんは歩くのが不自由であるほかは、いたって明晰。最後の挨拶は、「はやぐい、はやがき」といわれたエネルギッシュな佐藤さんを彷彿とさせる熱弁で、参加者の胸をうった。先輩評論家の蔵原惟人さんの思い出を当時のエピソードとともに語った佐藤さんは、「私は自分の人生は自分でつくるという考え方で生きてきた。お忙しいなかあつまっていただいたことを一生の手柄と肝に銘じたいと思います」という言葉で結んだ。 八十四歳になるという元国会議員の田中美智子さん(お祝いの言葉)や、麦わら帽子をかぶってあらわれた九十歳になる画家の永井潔さん(乾盃の音頭)の元気さには驚いた。青木美智男、大田努、大塚達男、雲英晃顕、草鹿光代、小西悟、柴田嘉彦、津上忠、鶴岡征雄、土井大助、東郷秀光、浜林正夫、森与志男、山科三郎各氏ら多彩な顔ぶれがつぎつぎとあいさつしたのも、佐藤さんならではの交友の広さをおもわせるものだった。 佐藤さんがお元気なころは、池袋の喫茶店や所沢駅前のレストランでお会いし、貴重な文学の話を聞くことが楽しみだった。佐藤さんの文学の原点が、友だちの多くを死に追いやった戦争への怒りであることも、そういう話のなかで知った。発言の機会を与えられた私が、そのことを紹介すると佐藤さんが何度もうなずいておられたのが印象的だった。 佐藤さんの顔を眺めながら、佐藤さんがお元気なうちに、もう一仕事も二仕事もと心に満ちてくるものがあった。この会を企画した新船海三郎氏らの労に感謝したい。
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