小林多喜二が17歳のときに書いた、全集未収録作品

多喜二の新発掘作品、「老いた体操教師」を
『民主文学』7月号に掲載。86年ぶりによみがえる!

 先般発見された小林多喜二の最初期の短編、「老いた体操教師」を、曾根博義日本大学教授の解説のもとに、「民主文学」2007年7月号に掲載することになりました。
 本作品は、文芸雑誌「小説倶楽部」1921年10月号に掲載の懸賞小説当選作ですが、全集にも未収録であり、これまで多くの人の目にふれることのなかったものです。
 17歳のときに描いた作品世界からは、弱者を見つめる素朴な眼差しや豊かな資質など、多喜二の瑞々しい魅力がつたわってきます。私たちは、多喜二の愛読者の要望にこたえるために、今回、『民主文学』掲載でお届けすることにしたものです。









「小説倶楽部」の表紙と、掲載された「老いた体操教師」=曾根博義氏撮影


「老いた体操教師」を読んで
石井 逸郎 (弁護士)

 「民主文学」2007年7月号の小林多喜二の未収録小説「老いた体操教師」の読後感を編集部に送ろうと思ったのは、この小説が、戦前の偉大な作家の未収録小説が見つかって珍しいというだけにとどまらない感動を私に与えてくれたことを、端的に言うと、およそ戦前の小説とは思えない新しさを感じたことを伝えたかったからだ。私にはこの小説が、過去の日本の学校教育の有り様を描いたものとは思えない、今の、いやこれからの日本の学校の有り様を予見しているようにさえ思えたのだ。
 安倍内閣は、登場以来、昨年臨時国会での教育基本法改正に始まり、学校教育法など教育関連諸法規をも改正し、学校における校長、副校長等の監督権限を強めて学校の管理の度合いを強めようとしている。私には、この小説に登場する「T先生」が、過去の軍国日本の教師としてではなく、校長の姿勢や顔色を伺いながら自身の教育スタイルや思想まで変えるという、これからますます増えるであろう、いや今既に相当数いるであろう「典型的な」教師に思えたのだ。
 しかし日露戦争に出征した経験をもつ「T先生」は、多喜二は「軍人的な単純さを持った典型的なタイプの人」と表現するも、一方で、大正デモクラシーの影響だったのだろうか、学校では自身を含む教師たちを滑稽に描いた生徒たちの漫画を生徒たちと一緒に「笑って」ながめたり、担当する体育でも新校長が来るまでは緩やかな授業内容だったことが描かれていて、生徒との自由で対等なやり取りや生徒ののびのびとした雰囲気を重んじる教師として「多くの生徒に愛された」であろうことも想像できるのである。
 その「T先生」が、新校長の登場とともに、家庭を守るために、自身の教育スタイルを変えるのだ。
 小説の後に続く曾根氏の解説によると、この小説は多喜二17歳のときのもので、しかも多喜二が通っていた小樽商業における実話だったようであるが、「17歳の少年のものとは思えない」との評価には違和感を覚えた。そうだろうか。私はむしろ、とても17歳らしい小説だなあ、と思った。多喜二が、学校が大好きで、「T先生」も大好きで、自由な校風を愛していた様子こそが想像できるのだ。その「T先生」が「ゲートル」のことで一々注意をするような教師になり(まるでルーズソックスや色の付いた靴下を履く学生を叱る現代の管理教育べったりの教師と同じ!!)、学校も学びの場から管理の度合いを強めて、侵略戦争のための人づくりの場へと変貌しようとしていくとき、「T先生」の人間性をも変えた管理教育の問題を、得意とする小説の形式で告発しようとした17歳の少年を思いうかべるのである。尾崎豊が管理を嫌い、自由を求めた歌を唄ったのと、生徒中心の手作りの入学式・卒業式が「日の丸」「君が代」の強制的な押しつけによって無味乾燥な形式的儀礼に変えられようとしたときに立ち上がった多くの高校生たちと、同じなのだ。
 私自身、この小説を読んで、中学生だった頃にタイムスリップしたような気がした。私は、バレー部の部活が好きだったし、友達も好きだったし、普段の授業での先生も概ね好きだった。だけど、黒いつめいりの制服をきせられ、厳しい校則の下で管理され、ときたま、意味不明の持ち物チェックをするときの先生は嫌いだった。が、あのときの先生も「T先生」と同じ心境だったのだろうか。
 学校を舞台にした小説や映画は、「二十四の瞳」とか山田洋二のそれとかいろいろある。が、私は、日本の学校教育の一番の問題点と特質は、おそらく軍国主義時代に形成されたであろう管理主義教育の点にこそあると思うが、この点をずばり描いた小説は、意外に少ないのではないだろうか。
 この小説の末で「T先生排斥運動」が起こるのであるが、この運動は、管理主義を強める新校長の批判に向かわずに、単に「T先生」を排斥するだけで終わってしまうというオチは、リアルである。多喜二は「T先生排斥運動」の未熟さを示唆するとともに、「T先生」を追い詰めた管理主義こそ批判すべきだと言っているように私には思えるのだ。
 17歳の多喜二だからこそ、このような小説が書けたのだと思う。私は、この小説によって、多喜二が、私たちと同じ、学校や教師が大好きな普通の高校生だったことがわかって、同じように管理主義を嫌っていたことがわかって、一層の親近感を覚えずにはいられなかった。
 多喜二も、学校が大好きな、普通の17歳だったのだ。そしてこんな純真な青年を惨殺した日本軍国主義に対する怒りを、また一層覚えるのである。
 

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