長年、民主主義文学運動の中心として活動し、二〇〇四年に亡くなられた窪田精さんの文学碑が、出身地の山梨県北杜市に完成し、九月十一日に除幕式が行われました。碑は同市武川町の山梨勤医協武川診療所の敷地内に建てられました。同診療所は窪田さんの小説『石楠花村日記』の舞台となったところで、その縁で建立地となったものです。台風による洪水に見舞われた山間の地で医療活動にあたる医師や職員の活動を通して、いのちを守る民医連運動の理念を描いた作品として知られています。
文学碑は、高さ約百七十センチメートル、幅約百八十センチメートルの大きなもので、甲府市産の山崎石が使われています。碑文には『石楠花村日記』から、診療所の建物の姿を描いた一節と、『文学運動のなかで』から、生きながら地獄を見たという流刑囚として過ごしたトラック島の体験が、文学を志す原点になったことを示す一節が刻まれています。文学碑に並んで略歴を記した碑も設置されています。
式には、長男純さんと弟の和男さんら遺族をはじめ山梨勤労者医療協会、高根町革新懇の関係者など、窪田さんの多彩な活動を反映した広範な方々、約八十名が列席しました。文学会からは、田島会長、乙部事務局長、牛久保常任幹事と三浦の四人が参加しました。
建立にあたっては、窪田さんの出身地の高根町郷土研究会や高根町革新懇の方たちを中心とした窪田精文学碑を建てる会(清水磋太夫代表)が全国に資金を募り、約八百五十人から、三百九十万円が寄せられました。文学会もその一翼を担って貢献することができました。こうした募金活動を支えたのは、郷土の作家として顕彰しようという機運とともに、今日の政治状況のもとで、戦争と人間を描きつづけた作家として知られる窪田文学が改めて見直されていることを示しています。
文学碑のある武川町から車で三十分ほど離れた高根町にある、北杜市浅川伯教・巧兄弟資料館に併設されているほくと先人室には、窪田精さんを顕彰するコーナーも設けられています。文学碑を訪れた際にこちらにも立ち寄られることを期待します。
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