|
|
|||
テーマ:現実を見つめ、生きる力を励ます小説や評論を書いてみませんか 第十一回若い世代の文学研究集会は二月三、四日に文学会事務所とオンライン併用で、全国から十四人が参加(初参加が二人)し、八人が作品を提出しました。 一日目に風見梢太郎常任幹事が「原発事故をどう取材し、どう作品にしたか」とのテーマで記念講演。その後、二つの分科会に分かれて合評を行いました。分科会一、二の助言者は、横田昌則さん、橘あおいさんが務めました。その後、オンライン参加者との全体交流をし、夜は、現地参加者で交流をしました。 二日目は、合評の続きと全体会で終了。午後は、三浦光則さんの案内で都内の文学散歩を楽しみました。参加者からは、「参加して良かった。来年はリアルで参加したい」「一年に一回とはいわずもっと開催してほしい」と、次回への期待が寄せられました。 (文責・久野通広) ◆ 第10回 若い世代の文学研究集会の記録◆ テーマ:現実を見つめるあなたの思いを小説や評論に書いてみませんか 開催日時 2022年11月3日(祝・木)10時〜17時 受付9時 基調講演 <講師> たなかもとじ氏 「取材を通して未知の文学へ」 3分科会 12:00〜16:00 <助言者> 風見梢太郎氏・久野通広氏・橘あおい氏 全体会(感想交流、閉会挨拶) 16:00〜17:00 オンライン懇親会 17:10〜19:00
|
|
|
文学の力と社会 佐賀支部 上村裕香(筆名・上村ユタカ) 若い世代の文学研究集会にははじめて参加させていただきました。乙部宗徳さんの講演では文学の力とは何かを考えさせられました。小林多喜二の『蟹工船』ブームを例に、時代を超えて政治、社会を描き出すことができるという文学の本質を語っていただいたことが特に心に残っています。政治思想そのものを語ると陳腐になり、しかし政治に無関係の人物などいない。だからこそ、文学には社会を写す鏡のような性質があるのだと思いました。鏡のような作品を書いていけたらと思います。 分散会では各々の作品合評を主に行いました。忌憚なき意見が多く出て、実りのある分散会になりました。司会として瀬峰静弥さん、助言者として乙部宗徳さんにご参加いただきました。合評は山形敦子さんの「マジシャンと黒猫」、秋吉知弘さんの「飛ばない鳥」、細野ひとふみさんの「コロナ禍前夜」、わたし(上村)の「偽物」を扱いました。 特に秋吉さんの「飛ばない鳥」は文章、構成、メタファーの使い方などが素晴らしく、学びの多い作品でした。この作品はひきこもりの青年、昌志が近所の公園で出会った少年、その少年の祖父と接していくうちに活力を得、社会復帰を目指す物語です。冒頭の造り酒屋のシーンが清々しく、メタファーとして登場するキウイなどが効果的に働いていました。 小説を書くことは人間を書くことであり、人間を書くことは社会を書くことである。そう考えると、この作品では社会に接続していないように見える人物が形作る社会が描かれているのだろうと思いました。人物が丹念に描かれることで、そこに社会が作られるのだろうと。 わたしの「偽物」についてもたくさんの意見をいただきました。主人公はコロナ禍でオンライン授業を強いられる大学生、朗助。隣人である老女が言い出した「偽物」という言葉をきっかけに、なにが実態でなにが偽物か曖昧になる世界を描きました。マジックリアリズム(非日常と日常を融合し、起こりえないことからリアリティを描く技法)を意識した作品で、ファンタジーとマジックリアリズムの違いについても話し合いました。 今しか書けない作品を書きたいと思っています。今回の文学研究集会で若い世代の方々と交流して、改めてそう思いました。コロナ禍の大学生にしか体験できないもの、感じ得ないもの、書けないもの。「偽物」という作品もそれを形にしたいと思って書きました。社会とオンラインでしか繋がらないとき、わたしたちは酷く世界に懐疑的で、実体がわからなくなって。その社会を文字にするために、わたしは小説を書くのだと思います。 最後にこの若い世代の文学研究集会を運営してくださった方々、ありがとうございました。民主文学の若い世代を、これから盛り上げていけたらと思います。 「若い世代の文学研究集会」感想 植月 のぞみ 「若い世代の文学研究集会」に初めて参加させていただきました。 入会から9ヶ月が経ち、この集会に参加ができて、初めて全国の民文の若い世代の仲間とつながることができたと感じています。 所属の支部の方々から「集会に参加して、小説も提出してみるといい」と勧められましたが、小説の創作については「小説の構想が思い浮かばない、書けない……」という苦悩の連続でした。実は創作の提出を諦めると民文事務局へメールをしたのですが、役員の橘あおいさんから「ぜひ提出してほしい」という熱い勧めがあり、集会へ提出した初めての創作小説「プライド・パレード」を書き上げることができました。 さて、集会に参加しての感想ですが、率直な感想としては、オンラインでしたが、文学を通じて、主催者や参加者が世代を超えた熱い交流ができて良かった、と思っています。 やはり、わたしが初めて作った小説を、集会参加者が事前に読んでくださり、様々な批評をくださったのは、嬉しい経験でした。 「セクシャルマイノリティを題材にした小説を書いたのは思いもよらなかった」「この小説の続編を読んでみたい」という感想をいただいたことは、ありがたく思いました。しかし、構想・制作期間も短く、締め切り日直前の提出という、推敲も清書も甘い、ほぼ思い付きに近い作品になってしまっただけに、とても厳しい批評をいただきました。小説創作の厳しさと難しさを痛烈に感じました。 わたしの中では、良い評価よりも厳しい評価の方を重く受け止めています。 良い小説を作るためには、整った文体やしっかりとした物語構成が大事である、読む人の感性に働きかけることだと、分散会C参加者や助言者の青木陽子さんからの批評から学ばせていただきました。 同時に、批評を受けて、久々に湧き出した気持ちがあります。「悔しい」という気持ちです。 その気持ちが集会後の数日間収まらず、わたしの中で「悔しさ」が充満していました(わたしはマイナス思考に陥りやすい人間なので、批評というものが、プラスなのかマイナスなのかという思いが、心の中で激しくせめぎ合っていました)。 集会から13日経った(この感想は11月28日執筆)現在の気持ちとしては「集会での厳しい批評を基に、『プライド・パレード』を超える作品を作りたい」という前を向いた気持ちに至っています。厳しい評価も良い評価も、わたしが作品を生み出さなければ出会えなかった、創作意欲を生み出す「栄養」なのかもしれません。 これからの決意として、わたしは「民主文学に新しい風を吹き込む」という気持ちで活動していきたいです。民主文学だけでなくインターネットでも小説を書き、小説の面白さや民主文学の魅力を発信できる人になっていきたいと思います。 最後に、集会に参加された皆様、開催にご尽力くださった民文役員の皆様、ありがとうございました。 「鏡とダイヤモンド(仮)」 田本真啓 若い世代の文学研究集会に初めて参加したのが二〇一八年度の夏、その年は確か都内の北千住が会場だったと記憶しています。昨年はところ変わって神奈川県厚木市、小林多喜二が「オルグ」を執筆した際に滞在したとされる福元館という老舗旅館が会場でした。そして僕にとって三度目の参加となる本年度、若い世代の文学研究集会は、コロナ渦の影響もあり、リモート形式での開催となりました。 当日、事務局長である乙部宗徳さんの「小説の魅力と書くこと」という講演から始まった研究集会は、僕がズームに接続した時点ですでに活気に溢れていました。乙部さんの講演の中でもっとも印象深かったのは、小説とは現実の真の姿を映し出す鏡のような役割を果たす、そしてリアリズムとは、単なる創作上の手法にとどまらず、現実を引き受ける思想のことでもあるというお話でした。 午後からの分散会では、助言者に常任幹事であるたなかもとじさん、編集長である牛久保建男さんを迎え、遠藤ゆきさん、川澄円さん、空猫時也さん、秋元いずみさん、横山翔さん、そして司会役である僕を含めた計八名で合評を行いました。 遠藤ゆきさんの「父の帰る日」からは、亡き父への回顧をきっかけに、新たな一歩を踏み出す主人公の決意を感じ、川澄円さんの「北村レナの非日常」からは、いじめという重い題材に対し、どのようなアプローチが可能なのかということを深く考えさせられました。また、空猫時也さんの「幻影を往く君へ」については、戦争を知らない世代が今後どのようにその記憶を引き継いでいくのか、そうした問題意識を強く感じました。 それから十一月八日に他界された旭爪あかねさんの話題が頻繁に上ったことも、今年の研究集会の印象深い思い出の一つです。とくに若い世代の口から語られる旭爪さんのエピソードは、彼女の影響力の大きさを物語っているかのようで感慨深くなるものがありました。もちろん僕自身も、そんな旭爪さんから多大な影響を受けた書き手の一人でもあります。 あれは二〇一八年度の新人賞に応募する小説の執筆が難航していた時期のことだったと記憶しています。いまでも忘れられないのは、電話口での突然のご相談であったにも関わらず、旭爪さんが快く僕の悩みを受け止めて下さったことです。旭爪さんは僕にこう言いました。田本さん。ダイヤモンドだって適切な処理を施されなければ、あくまで原石のままだよ。作品だって推敲を重ね、言葉を研磨することによってしか本来の輝きを取り戻すことができないとしたら、いますべきは一つじゃないかな。 小説とは、不思議なものです。鏡に例えられたかと思えば、他方でダイヤモンドに例えられる場合もある。乙部さんのお話はもちろんですが、僕はあの日の電話口での旭爪さんのアドバイスについても、生涯忘れないと思います。 |
|
|
猛暑の八月三日、四日。多喜二ゆかりの神奈川県、七沢温泉の福元館で第七回若い世代の文学研究集会を開催しました。これまでは二年毎でしたが今年からは毎年の開催。参加者は要員含め十九名でそのうち初参加の方は四名でした。 講師には風見梢太郎さん、青木陽子さんを迎え分科会でそれぞれミニ講演をして頂きました。作者の創作意図を踏まえてリスペクトしながらの作品合評。若い参加者から「この作品には光る原石がありますね」といった発言がされたり書き手が気づかないような発見があったと好評を得ました。提出された八作品に特徴的だったのは、社会を民主的に変革したいという情熱にあふれていたことです。ファンタジーや未来小説など、様々な作品の底流には、世代を超えて共通の思いがあると実感しました。小田原文学館まで足を伸ばしての文学散歩、講師は蠣崎澄子さん。飛び入りで三浦光則さんにもご協力頂きました。参加者の感想は十一月号に掲載されます。ご支援、ご協力ありがとうございました。
|
|
||||
第六回若い世代の文学研究集会は、八月三日、四日、東京都足立区・千住介護福祉専門学校で開かれました。参加者は、北は岩手県から南は長崎県までと広がり、初めて参加した人が十人になったこと、都合で直前に参加できなくなった人もいましたが、作品も十一作品提出されるなど、今後につながるものになりました。参加者は講師・事務局含めて二十二人でした。この取り組みの中で、新たに三人が準会員に加入しました。 なお、猛暑のため、終了後のオプション企画「宮本百合子を訪ねる千駄木界隈」の文学散歩は、樋口一葉記念館と「たけくらべ」の舞台に変更し澤田章子さんに講師を務めていただきました。 参加者の感想は、十一月号に掲載を予定しています。
|
||||
|
||||
2015年11月14、15日、千葉県柏市のさわやか千葉県民プラザで、第5回目となる若い世代の文学研究集会を行いました。全体で20名の参加となり北は岩手、南は愛媛まで全国の若い書き手が集い学び合いました。 今回は初めて分科会を基礎講座と創作専科のコースとし、能島龍三氏と仙洞田一彦氏を講師に迎えました。初参加の方が7名も参加し、実作を持ち寄って講師の指導を受けることができました。 基礎講座では小説の基礎を学びました。二時間ほどの能島氏の講義では、小説のテーマ、構成、人物と環境、視点などについての創作方法を学び、「創作にとって最も大切なものはモチーフである」「愛と苦悩を描く」という先人の言葉も紹介され「労働者のたたかいや政治的なことに限らず、作家が関心を持つ題材、テーマを自由に書くことこそ、民主主義文学の姿だ」と語りました。 創作専科では「文学とは、テーマに対する答えではなく、優れた問いである」と講師の仙洞田氏よりお聞きしました。 能島氏や仙洞田氏の言葉を聞いて、文学にどう対峙していくのか、まずその立脚点を見つめ直すことから始めていきたいと思いました。 夕食後は参加者の自己紹介や作品創造の取り組み、悩みなど、お酒を酌み交わしながら交流しました。日頃は顔を合わせることのない仲間との文学談義が夜遅くまで盛り上がりました。 2日目の散会後に井上文夫氏の協力で行った文学散歩では、隣の我孫子市の手賀沼のほとりにある白樺文学館を訪れました。多喜二とゆかりの志賀直哉、白樺派の目指した文学を学びました。 仕事や家事、子育てなどの忙しさの中でなぜ、こんなに苦しい思いをして小説を描いているんだろうと、悩むこともあります。集会に参加して思いを語りあうと、また頑張って書いていこうと勇気をもらうことができます。 この集会での学びを活かして、ここで出会った新しい仲間とも互いに励ましあいながら、今後も研鑽していきたいと思います。
〈参加者の感想〉 基礎講座に参加して
初めて参加した若い世代の文学研究集会、会場となったさわやかちば県民プラザが広くてきれいなのに驚きました。参加した皆さん、熱意をもって真剣に創作に向かう方ばかりという印象を受けました。 参加した基礎講座では講師の能島隆三氏から、短時間でお聞きするのはもったいないほど多くのことを教えていただきました。 能島氏が先輩作家から聞いてこられた生の声を多数ご紹介いただき身が引き締まりました。 この基礎講座ではモチーフの大切さを改めて確認し、自分のモチーフは何かという問いを投げかけられました。恥ずかしながら私は「どうしても書かねばならぬ」というところにまだ行き着いていません。書いて読み感じることを繰り返して、それでも書かねばならないと思えるか、確認するところから再スタートです。 皆さんと同じ席で学び、交流させていただくことができて良い刺激をいただきました。今後じっくりと、書く心構えを確認していきたいと思います。 創作専科に参加して
参加者の多くは、悩み、戸惑い、苦しみ、己の小説世界と表現と、その狭間でせめぎあい、日々格闘している。特別なことでなく、誰しもがそうなのだ。それがための文学研究集会なのであろう。 講師の文学に対する態度に耳を傾け、実作を前に作者を交えて討論することは、きっと大きな財産となったはずだ。ならばこそ感じるのは、参加した一通りの感想だけでなく、一夜限りの良き邂逅で終わらせることなく、何らかの総括が必要ではなかろうか。 箇条書きで良い。何が討議され、何が確認されたのか。何が問題となり、何が未解決のものとして残ったのか、等。これからもたゆまず表現し続けてゆくうえで共有すべき認識のようなものを。次はそのステージに立って作品に向き合えば良い。書くのも批評するのも、討議するのも。 あるいは将来、そこで確認したはずの認識が間違っていたことに気づくような事があるかもしれない。文学者ならば、なおさら言葉に残すべきだと思う。これからこの世界に足を踏み入れる仲間のためにも。 |