1966年総目次

年月号 タイトル 作者 ジャンル
1966年01月号 「若い創造力」を荒廃させるのはだれか 北村 耕 評論
1966年01月号 「非政治主義」的な政治的発言(文芸時評) 佐藤静夫 評論<文芸時評
1966年01月号 えがかれ方の問題 後藤 彰 発言
1966年01月号 ディェンビェンフーの少女 山岸一章 小説
1966年01月号 ひとつの課題(サークル誌評) 松田解子・後藤 直 評論<誌評
1966年01月号 一教育労働者として 木津 治 発言
1966年01月号 火工廠 佐々木一夫 小説
1966年01月号 革命的女性像を! 角 圭子 発言
1966年01月号 巨人への注文 伊東 信 発言<オオニシ キョジン
1966年01月号 細胞長つるどん 岩倉政治 小説
1966年01月号 小林多喜二文学碑の除幕 民主文学編集部 記事<コバヤシ タキジ
1966年01月号 新しい文学と文学運動について 蔵原惟人 評論<民主主義文学論 <文学運動論
1966年01月号 身分・階級・性の差別――解放随想(1) 住井すゑ 発言
1966年01月号 秋村 宏
1966年01月号 赤服 霜多正次 小説
1966年01月号 対談=たたかいのなかのべトナム 松岡洋子・矢作勝美 評論<ベトナム <対談
1966年01月号 朝風――「自画像」第二部(2) 中島健蔵 小説
1966年01月号 日本のなかの朝鮮人(2) 張 斗植 小説
1966年01月号 富士を射つミサイル―― 一〇・二富士演習場返還闘争 平迫省吾 ルポ
1966年01月号 文学と階級意識 藤森成吉 発言
1966年01月号 文学におけるタテ糸・ヨコ糸 金親 清 発言
1966年02月号 「偽装」における主題と方法 赤城 毅 評論
1966年02月号 「十二年の手紙」を読んで 澤田章子 評論
1966年02月号 あおみどろ 松田解子 小説
1966年02月号 インドネシアでの経験 鈴木 清 発言
1966年02月号 シビルアン・クラブにて 円乗淳一 小説
1966年02月号 異邦の客の子 あべよしお 小説
1966年02月号 宮本百合子にまなぶ 三国洋子 エッセイ
1966年02月号 今日のいしずえ 山田新市 エッセイ
1966年02月号 石よ! おれたち 門倉 訣
1966年02月号 蝉時雨 藤井冠次 小説
1966年02月号 戦列 中本たか子 小説
1966年02月号 創造と普及と(サークル誌評) 山 武比古・後藤 直 評論
1966年02月号 霜多正次 佐藤静夫 評論
1966年02月号 隊列のなかで 窪田 精 発言
1966年02月号 地球のなかのアジア 三宅艶子 発言
1966年02月号 秩序という名の差別――解放随想(2) 住井すゑ 発言
1966年02月号 朝風――「自画像」第二部(3) 中島健蔵 小説
1966年02月号 日本のなかの朝鮮人(3) 張 斗植 小説
1966年02月号 日本はどこを向くのか 尹 学準 発言
1966年02月号 日本人墓地で 松本正雄 発言
1966年02月号 包括的社会像と現代作家の姿勢(文芸時評) 北村 耕 評論
1966年02月号 民族のねがい――「日韓」批准のかげに 鹿地 亘 ルポ
1966年03月号 おばあちゃんが一人死んだ…… 井野川 潔 <発言
1966年03月号 きわめて、民主主義的に…… 戸石泰一 <発言
1966年03月号 たたかいのド真ん中で――多喜二によせて 中里喜昭 評論<コバヤシ タキジ
1966年03月号 たたかう娘たち 奥野正男 <ルポ
1966年03月号 ビラはりと潜水艦 石川冬子 <発言
1966年03月号 メコン川の証言 伊東 信 小説
1966年03月号 賀集和美の華僑研究 西野辰吉 小説
1966年03月号 基地サイド 後藤 彰 小説
1966年03月号 現実にたちむかう意欲(サークル誌評) 山 武比古・後藤 直 評論<誌評
1966年03月号 座談会=あげ潮にむかって―― 一九六六年・民主主義文学の課題 金 達寿・窪田 精・佐藤静夫・霜多正次・菅井幸雄 評論<文学展望<回顧<課題<座談会
1966年03月号 書評 革命文学における「物語性・ドラマ性」――揚朔『長白山脈を越えて』黄健『ケマ高原』 田村 栄 評論<書評<ヨウサク<コウケン
1966年03月号 心の塔 増岡敏和 <詩
1966年03月号 新しい文学反動の潮流としての形成――磯田光一の評論を中心に 津田 孝 評論<イソダ コウイチ<ナショナリズム論
1966年03月号 戦争・貧困・女性の幸福(文芸時評) 北村 耕 評論<文芸時評
1966年03月号 多喜二文学と現代批評 林 重一 評論<コバヤシ タキジ
1966年03月号 大逆事件再審棄却 山田清三郎 <発言
1966年03月号 朝風――「自画像」第二部(4) 中島健蔵 小説
1966年03月号 日本のなかの朝鮮人(4) 張 斗植 小説
1966年03月号 平等は平和の原則――解放随想(3) 住井すゑ <エッセイ
1966年03月号 労務管理アンケート・その他 小柳時男 <発言
1966年04月号 「おりん口伝」の方法(文芸時評) 北村 耕 評論<文芸時評
1966年04月号 コカ・コーラの海のなかで 中村新太郎 <発言
1966年04月号 遠いレイテの海 窪田 精 小説
1966年04月号 海、鳴りやまず 伊東 信 <ルポ
1966年04月号 宮本百合子没後十五周年記念講演会 民主文学編集部 <記事<ミヤモト ユリコ<没後15年
1966年04月号 作品における思想性と芸術性――奥野正男の作品をめぐって 山田新市 評論<オクノ マサオ
1966年04月号 主題と方法(サークル誌評) 山 武比古・松田解子 評論<誌評
1966年04月号 集中豪雨 三国洋子 小説
1966年04月号 書評 『松川運動全史』――人民がかいた叙事詩 松田解子 評論<書評<松川事件
1966年04月号 足柄定之 小説
1966年04月号 傷跡 嶋 津与志 小説
1966年04月号 植民地化と民族語 石川 湧 <発言
1966年04月号 人間変革の新しい局面――秋田の農村から 鈴木 清 <エッセイ
1966年04月号 大江健三郎試論 後藤 直 評論<オオエ ケンザブロウ
1966年04月号 中学生の指紋「供出」 柏崎知哉 <発言
1966年04月号 朝風――「自画像」第二部(5) 中島健蔵 小説
1966年04月号 電車のなかの話 土井大助 <詩
1966年04月号 日本のなかの朝鮮人(5) 張 斗植 小説
1966年04月号 農婦と戦争 津川武一 <発言
1966年04月号 苗代川 金 達寿 小説
1966年04月号 文学における個人主義評価の問題――西田勝にこたえる 津田 孝 評論<ニシダ マサル<評価の基準<文学論争
1966年04月号 流れに抗する作家――阿部知二の世界 飯野 博 評論<アベ トモジ
1966年05月号 「芸術の真実」としてのフィクション 赤城 毅 評論<文学大衆化論<虚構論
1966年05月号 おん柱祭り 早船ちよ 小説
1966年05月号 ジョン・ブラック遺文 平迫省吾 小説
1966年05月号 そこゆれ――「自画像」第三章(6) 中島健蔵 小説
1966年05月号 テーマの具象化の問題(文芸時評) 田村 栄 評論<文芸時評
1966年05月号 ハルマゲドン 神谷量平 <発言
1966年05月号 蛙の子は蛙 白石 凡 <発言
1966年05月号 革命的な大衆文学をめざして 早乙女勝元 評論<文学大衆化論
1966年05月号 記録からの上昇(サークル誌評) 松田解子・木谷則夫 評論<誌評
1966年05月号 強烈に生きた文学を 山岸一章 評論<文学大衆化論
1966年05月号 芸術大衆化の今日的課題 菅井幸雄 評論<文学大衆化論
1966年05月号 座談会=展開期に立って――創作方法の問題をめぐって 伊東 信・後藤 彰・円乗淳一・奥野正男・飯野 博 評論<文学方法論<創作方法論<座談会
1966年05月号 最後の文盲 鄭 貴文 小説
1966年05月号 書評 蔵原惟人『革命と文化運動』――思想・文化のたたかいのあと 塩田庄兵衛 評論<書評<クラハラ コレヒト
1966年05月号 書評 張 斗植『ある在日朝鮮人の記録』――苦闘と成長の記録 飯野 博 評論<書評<チョウ トショク
1966年05月号 世界感覚と身近な歴史像 西野辰吉 <発言
1966年05月号 静かな胎動――日立武蔵工場から 小村一平 <ルポ
1966年05月号 日本のなかの朝鮮人(6) 張 斗植 小説
1966年05月号 能動的なテーマとして 中里喜昭 評論<文学大衆化論
1966年05月号 文学大衆化の問題によせて 江馬 修 評論<文学大衆化論
1966年05月号 矛盾の勉強 亀井勝一郎 <発言
1966年05月号 怜子さんのこと 佐藤光良 小説
1966年05月号 歴史と私 道家忠道 <発言
1966年05月号 歴史劇ということ 津上 忠 <発言
1966年06月号 「男の子を生みたい」 上杉正一郎 エッセイ
1966年06月号 そこゆれ――「自画像」第三章(7) 中島健蔵 小説
1966年06月号 ならびが岡と「ままこ算」 タカクラ・テル エッセイ
1966年06月号 ふくれあがった「週報」――ふくれあがった『週報』 渡辺順三 エッセイ
1966年06月号 もう二度と軍歌なぞ歌うまい 横山正彦 エッセイ
1966年06月号 ルポルタージュの方法 鹿地 亘 評論・文学方法論・創作方法論
1966年06月号 ロンドンの街かどで 渡部 昌 エッセイ
1966年06月号 安保段階の新しい展開 西野辰吉 評論・文学運動論
1966年06月号 奇妙な世界 小原 元 エッセイ
1966年06月号 宮本百合子を中心として 佐藤静夫 評論・ミヤモト ユリコ・文学方法論・創作方法論
1966年06月号 克服すべきいくつかの課題(サークル誌評) 木谷則夫・上原 真 評論・誌評
1966年06月号 告発 佐々木一夫 小説
1966年06月号 在日朝鮮人の民族教育は完全に保障されなければならない 日本民主主義文学同盟幹事会 声明
1966年06月号 思想と行動の隙間 池田みち子 エッセイ
1966年06月号 主観主義の克服のために――一九五〇年代前期の体験から 霜多正次 評論・文学方法論・創作方法論
1966年06月号 書評 ウスマン『神の森の木々』――アメリカ鉄道労働者のストライキを描く 中本たか子 評論・書評・ウスマン
1966年06月号 書評 鄭貴文『民族の歌』――民族と人間の回復 永見 恵 評論・書評・テイ キブン
1966年06月号 赤い腕章 長船 繁 小説
1966年06月号 途上 矢作勝美 小説
1966年06月号 日本のなかの朝鮮人(7) 張 斗植 小説
1966年06月号 破約 真枝統一 小説
1966年06月号 流されるものと抗うもの(文芸時評) 飯野 博 評論・文芸時評
1966年07月号 「日常性」の垢を洗い落せ(文芸時評) 飯野 博 評論<文芸時評
1966年07月号 『芸術書簡』をめぐって 松本正雄 評論<クラハラ コレヒト
1966年07月号 いわゆる「映画の危機」について 若杉光夫 <エッセイ
1966年07月号 シャルダンの背中 永井 潔 小説
1966年07月号 そこゆれ――「自画像」第三章(8) 中島健蔵 小説
1966年07月号 ブーヒェンヴァルトの強制収容所 舟木重信 <エッセイ
1966年07月号 ホー小父さんの詩 桜田常久 <エッセイ
1966年07月号 やせ地 たかせ・とよじ 小説
1966年07月号 現実を見すえる姿勢(サークル誌評) 木谷則夫・上原 真 評論<誌評
1966年07月号 構造的リアリズムをめぐって 篠原 茂 評論<批評の基準<文学論争<リアリズム論
1966年07月号 四月の風 工藤静子 小説
1966年07月号 修身 山岸一章 小説
1966年07月号 書評 西口克己『新幹線』――珍しい政治社会小説 北條元一 評論<書評<ニシグチ カツミ
1966年07月号 書評 津田孝『民主主義文学論』――変革めざす情熱 円乗淳一 評論<書評<ツダ タカシ
1966年07月号 職業病 牧村 浩 <ルポ
1966年07月号 新井紀一を憶う 手塚英孝 <エッセイ<アライ キイチ
1966年07月号 切腹しち 大垣 肇 <エッセイ
1966年07月号 題材主義と主観主義の克服 佐藤静夫 評論<批評の基準<文学論争
1966年07月号 啄木の日記云々 赤木さかえ <エッセイ
1966年07月号 二つの側面について 壺井繁治 <エッセイ
1966年07月号 日本のなかの朝鮮人(8) 張 斗植 小説
1966年07月号 批評の基準についての提案――奥野正男の作品とそれにたいする批評を中心に 津田 孝 評論<オクノ マサオ<批評の基準<文学論争
1966年07月号 老人日記 石川冬子 小説
1966年08月号 「かんじき」での経験 石黒三沙子 <エッセイ
1966年08月号 「こぶしの会」を中心に 瀬田 純 <エッセイ
1966年08月号 「天草民主文学」の経験 鶴田文史 <エッセイ
1966年08月号 「民主文学」編集委員会報告 佐藤静夫 <報告
1966年08月号 「明治百年」か、「維新百年」か。 大江志乃夫 <エッセイ
1966年08月号 そこゆれ――「自画像」第三章(9) 中島健蔵 小説
1966年08月号 なぜ作品が書けないか 入江良信 <エッセイ
1966年08月号 ネズミ穴 木谷則夫 小説
1966年08月号 ペラ・アターシェワのこと 山田和夫 <エッセイ<映画評
1966年08月号 会議の総括――幹事会 西野辰吉 <報告
1966年08月号 館陶事件 来栖良夫 <エッセイ
1966年08月号 教育問題特集など(サークル誌評) 上原 真・大滝十二郎 評論<誌評
1966年08月号 主観におぼれた危険な作風 佐々木一夫 評論<文学方法論<創作方法論
1966年08月号 首相、鎌倉ヘ あべよしお 小説
1966年08月号 準同盟員だけの支部活動 平腰美智子 <エッセイ
1966年08月号 書評 佐藤静夫『戦後文学の方法』――課題への考察 飯野 博 評論<書評<サトウ シズオ
1966年08月号 書評 中島健蔵『自画像』第一巻――戦闘的知識人の自伝小説 西野辰吉 評論<書評<ナカジマ ケンゾウ
1966年08月号 小選挙区制に反対する 日本民主主義文学同盟幹事会 <声明<小選挙区制
1966年08月号 焦点 大沢幹夫 <エッセイ
1966年08月号 職場の中の支部活動と共同ルポ 前川史郎 <エッセイ
1966年08月号 青森岩手できいた話 由紀しげ子 <エッセイ
1966年08月号 仙台での文学統一組織をめざして 矢内 昇 <エッセイ
1966年08月号 創造活動を中心に 増田 勝 <エッセイ
1966年08月号 多様なサークル活動を通じて 長船 繁 <エッセイ
1966年08月号 大阪民文協と同盟支部 木津 治 <エッセイ
1966年08月号 地方都市での支部活動 作間雄二 <エッセイ
1966年08月号 東京磁石 松田解子 <ルポ
1966年08月号 日本のなかの朝鮮人(9) 張 斗植 小説
1966年08月号 農村地区での創造運動 赤城 毅 <エッセイ
1966年08月号 波紋 霜多正次 小説
1966年08月号 被爆者の苦しみを思う 田沼 肇 エッセイ
1966年08月号 文学と指導者意識について――全国支部代表者会議での討論 金 達寿 報告
1966年08月号 文学同盟と支部の問題――全国支部代表者会議・幹事会報告 窪田 精 評論・文学同盟・報告
1966年08月号 未来がない こばやし・ひろし エッセイ
1966年08月号 両輪をすすめるために――全国支部代表者会議の印象 伊東 信 評論・創造と批評
1966年09月号 「大学自治」の問題点 暉峻衆三 エッセイ
1966年09月号 「播州平野」と戦後民主主義文学の出発 小原 元 評論
1966年09月号 「批評の基準」論議の発展のために――津田孝の「批評の基準」への私見その他 田村 栄 評論
1966年09月号 ある労働者の手帖 北林谷栄 エッセイ
1966年09月号 ウソ 伊藤逸平 エッセイ
1966年09月号 そこゆれ――「自画像」第三章(10) 中島健蔵 小説
1966年09月号 劇中の坂本龍馬 坂本徳松 エッセイ
1966年09月号 私の「街の岩場」 新井鑛一郎 エッセイ
1966年09月号 失格天使 円乗淳一 小説
1966年09月号 書評 窪田精『スクランブル』――「スクランブル」雑感 住井すゑ 評論
1966年09月号 書評 松田解子『おりん口伝』――「おりん口伝」覚え書 早船ちよ 評論
1966年09月号 書評 西野辰吉『東方の人』――「東方の人」読後感 松島榮一 評論
1966年09月号 小林多喜二碑の建設を終えて 浜林正夫 エッセイ
1966年09月号 人間の奇形――アメリカ核戦略体制下のABCC 深川宗俊 ルポ
1966年09月号 人間性一般論への解消(文芸時評) 赤城 毅 評論
1966年09月号 台風圏 嶋 津与志 小説
1966年09月号 日常の詩 安藤希郎 小説
1966年09月号 日本のなかの朝鮮人(10) 張 斗植 小説
1966年09月号 武夫とたかし 南 耕 小説
1966年09月号 連帯感の表現(サークル誌評) 永見 恵・山村一郎 評論
1966年10月号 「仲間意識」ということ(サークル誌評) 永見 恵・山村一郎 評論・誌評
1966年10月号 アジア・アフリカ作家緊急会議コミュニケ アジア・アフリカ作家緊急会議 評論・資料・コミュニケ
1966年10月号 コカ・コーラと巨大百貨店 除村吉太郎 エッセイ
1966年10月号 そこゆれ――「自画像」第三章(11) 中島健蔵 小説
1966年10月号 ベトナム支援AA作家緊急会議に出席して 霜多正次 エッセイ
1966年10月号 ベトナム民主共和国代表団団長報告 スオン・チュウン 評論・報告
1966年10月号 楽観・悲観・楽観 阿部知二 エッセイ
1966年10月号 建国記念日のこと 宮川寅雄 エッセイ
1966年10月号 現代のリアリティ(文芸時評) 赤城 毅 評論・文芸時評
1966年10月号 子ども川柳 菅 忠道 エッセイ
1966年10月号 書評 ゴック『不敗の村』――少数民族の抗仏戦 澤田章子 評論・書評・ゴック
1966年10月号 書評 蔵原惟人『マルクス・レーニン主義の文化論』――基本問題の解明 村山知義 評論・書評・クラハラ コレヒト
1966年10月号 書評 中島健蔵『現代文化論』――一つの力強い立場 道家忠道 評論・書評・ナカジマ ケンゾウ
1966年10月号 青春群像――ある団結の記録(1) 西口克己 小説
1966年10月号 戦争体験の文学化――梅崎春生の「桜島」 飯野 博 評論・ウメザキ ハルオ
1966年10月号 昼の顔と夜の顔 西野辰吉 小説
1966年10月号 釘泥棒 もり・あらた 小説
1966年10月号 南ベトナム解放作家芸術家協会代表団団長報告 チャンディン・パン 評論・報告
1966年10月号 日本のなかの朝鮮人(11) 張 斗植 小説
1966年10月号 日本代表団団長報告 白石 凡 評論・報告
1966年10月号 文学における戦後転向とはなにか――「憂鬱なる党派」と「光る声」 篠原 茂 評論・タカハシ カズミ・マツグ ノブヒコ
1966年11月号 「静かなる山々」論 津田 孝 評論・トクナガ スナオ・プロレタリア文学作品論
1966年11月号 ある労働者作曲家の生涯 村山知義・山崎欣太・稲垣 純 戯曲
1966年11月号 エゾヌキ 吉井 忠 エッセイ
1966年11月号 そこゆれ――「自画像」第三章(12) 中島健蔵 小説
1966年11月号 ふくろう 竹本賢三 小説
1966年11月号 まことに奇妙な取り合せ 南部僑一郎 エッセイ
1966年11月号 広島に渦まく――第十二回原水禁世界大会広島本会議に参加して 伊東 信 ルポ・集会・原水禁・被爆・核廃絶・反核・平和運動
1966年11月号 社長と呼ばれる男 鄭 貴文 小説
1966年11月号 主題と題材――窪田精「スクランブル」にふれて 佐藤静夫 評論・クボタ セイ・民主主義文学作品論
1966年11月号 主題と方法(文芸時評) 篠原 茂 評論・文芸時評
1966年11月号 心のふるさと 柳田謙十郎 エッセイ
1966年11月号 青春群像――ある団結の記録(2) 西口克己 小説
1966年11月号 多様さとひとつの傾向(サークル誌評) 永見 恵・金子総一 評論・誌評
1966年11月号 日本のなかの朝鮮人(12) 張 斗植 小説
1966年11月号 文学に現われた「家庭の危機」 矢作勝美 評論・家族家庭論
1966年12月号 “10・21スト”を支持し、全力をあげてたたかおう 日本民主主義文学同盟常任幹事会 声明
1966年12月号 そこゆれ――「自画像」第三章(13) 中島健蔵 小説
1966年12月号 ボリショイ劇場 半田義之 小説
1966年12月号 丸山定夫の碑 永田 靖 エッセイ
1966年12月号 現代文学状況の一局面――戦後派と第三の新人(文芸時評) 篠原 茂 評論
1966年12月号 孤帆狂乱 金親 清 小説
1966年12月号 荒廃の根源はなにか――新日本文学会の問題 北村 耕 評論
1966年12月号 作家同盟最後の事務所 河野さくら エッセイ
1966年12月号 残暑放言 服部 学 エッセイ
1966年12月号 書評 ネルソン『義勇兵』――アメリカ労働者の闘魂 あべよしお 評論
1966年12月号 書評 江口換『たたかいの作家同盟記』(上)――激動期を生きた情熱 手塚英孝 評論
1966年12月号 水害のエピソード 石川冬子 小説
1966年12月号 青春群像――ある団結の記録(3) 西口克己 小説
1966年12月号 読みごたえあるいくつかの作品(サークル誌評) 金子総一・小林栄子 評論
1966年12月号 日本のなかの朝鮮人(13) 張 斗植 小説
1966年12月号 批評における現実認識の問題 中里喜昭 評論
1966年12月号 労働者文学の新しい胎動――窪田精「フィンカム」 霜多正次 評論
1966年12月号 六月の工作者 平迫省吾 小説