年月号 |
タイトル |
作者 |
ジャンル |
1966年01月号 |
「若い創造力」を荒廃させるのはだれか |
北村 耕 |
評論 |
1966年01月号 |
「非政治主義」的な政治的発言(文芸時評) |
佐藤静夫 |
評論<文芸時評 |
文芸時評>
1966年01月号 |
えがかれ方の問題 |
後藤 彰 |
発言 |
1966年01月号 |
ディェンビェンフーの少女 |
山岸一章 |
小説 |
1966年01月号 |
ひとつの課題(サークル誌評) |
松田解子・後藤 直 |
評論<誌評 |
誌評>
1966年01月号 |
一教育労働者として |
木津 治 |
発言 |
1966年01月号 |
火工廠 |
佐々木一夫 |
小説 |
1966年01月号 |
革命的女性像を! |
角 圭子 |
発言 |
1966年01月号 |
巨人への注文 |
伊東 信 |
発言<オオニシ キョジン |
オオニシ>
1966年01月号 |
細胞長つるどん |
岩倉政治 |
小説 |
1966年01月号 |
小林多喜二文学碑の除幕 |
民主文学編集部 |
記事<コバヤシ タキジ |
コバヤシ>
1966年01月号 |
新しい文学と文学運動について |
蔵原惟人 |
評論<民主主義文学論 <文学運動論 |
民主主義文学論>
1966年01月号 |
身分・階級・性の差別――解放随想(1) |
住井すゑ |
発言 |
1966年01月号 |
水 |
秋村 宏 |
詩 |
1966年01月号 |
赤服 |
霜多正次 |
小説 |
1966年01月号 |
対談=たたかいのなかのべトナム |
松岡洋子・矢作勝美 |
評論<ベトナム <対談 |
ベトナム>
1966年01月号 |
朝風――「自画像」第二部(2) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年01月号 |
日本のなかの朝鮮人(2) |
張 斗植 |
小説 |
1966年01月号 |
富士を射つミサイル―― 一〇・二富士演習場返還闘争 |
平迫省吾 |
ルポ |
1966年01月号 |
文学と階級意識 |
藤森成吉 |
発言 |
1966年01月号 |
文学におけるタテ糸・ヨコ糸 |
金親 清 |
発言 |
1966年02月号 |
「偽装」における主題と方法 |
赤城 毅 |
評論 |
1966年02月号 |
「十二年の手紙」を読んで |
澤田章子 |
評論 |
1966年02月号 |
あおみどろ |
松田解子 |
小説 |
1966年02月号 |
インドネシアでの経験 |
鈴木 清 |
発言 |
1966年02月号 |
シビルアン・クラブにて |
円乗淳一 |
小説 |
1966年02月号 |
異邦の客の子 |
あべよしお |
小説 |
1966年02月号 |
宮本百合子にまなぶ |
三国洋子 |
エッセイ |
1966年02月号 |
今日のいしずえ |
山田新市 |
エッセイ |
1966年02月号 |
石よ! おれたち |
門倉 訣 |
詩 |
1966年02月号 |
蝉時雨 |
藤井冠次 |
小説 |
1966年02月号 |
戦列 |
中本たか子 |
小説 |
1966年02月号 |
創造と普及と(サークル誌評) |
山 武比古・後藤 直 |
評論 |
1966年02月号 |
霜多正次 |
佐藤静夫 |
評論 |
1966年02月号 |
隊列のなかで |
窪田 精 |
発言 |
1966年02月号 |
地球のなかのアジア |
三宅艶子 |
発言 |
1966年02月号 |
秩序という名の差別――解放随想(2) |
住井すゑ |
発言 |
1966年02月号 |
朝風――「自画像」第二部(3) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年02月号 |
日本のなかの朝鮮人(3) |
張 斗植 |
小説 |
1966年02月号 |
日本はどこを向くのか |
尹 学準 |
発言 |
1966年02月号 |
日本人墓地で |
松本正雄 |
発言 |
1966年02月号 |
包括的社会像と現代作家の姿勢(文芸時評) |
北村 耕 |
評論 |
1966年02月号 |
民族のねがい――「日韓」批准のかげに |
鹿地 亘 |
ルポ |
1966年03月号 |
おばあちゃんが一人死んだ…… |
井野川 潔 |
<発言 |
1966年03月号 |
きわめて、民主主義的に…… |
戸石泰一 |
<発言 |
1966年03月号 |
たたかいのド真ん中で――多喜二によせて |
中里喜昭 |
評論<コバヤシ タキジ |
1966年03月号 |
たたかう娘たち |
奥野正男 |
<ルポ |
1966年03月号 |
ビラはりと潜水艦 |
石川冬子 |
<発言 |
1966年03月号 |
メコン川の証言 |
伊東 信 |
小説 |
1966年03月号 |
賀集和美の華僑研究 |
西野辰吉 |
小説 |
1966年03月号 |
基地サイド |
後藤 彰 |
小説 |
1966年03月号 |
現実にたちむかう意欲(サークル誌評) |
山 武比古・後藤 直 |
評論<誌評 |
1966年03月号 |
座談会=あげ潮にむかって―― 一九六六年・民主主義文学の課題 |
金 達寿・窪田 精・佐藤静夫・霜多正次・菅井幸雄 |
評論<文学展望<回顧<課題<座談会 |
1966年03月号 |
書評 革命文学における「物語性・ドラマ性」――揚朔『長白山脈を越えて』黄健『ケマ高原』 |
田村 栄 |
評論<書評<ヨウサク<コウケン |
1966年03月号 |
心の塔 |
増岡敏和 |
<詩 |
1966年03月号 |
新しい文学反動の潮流としての形成――磯田光一の評論を中心に |
津田 孝 |
評論<イソダ コウイチ<ナショナリズム論 |
1966年03月号 |
戦争・貧困・女性の幸福(文芸時評) |
北村 耕 |
評論<文芸時評 |
1966年03月号 |
多喜二文学と現代批評 |
林 重一 |
評論<コバヤシ タキジ |
1966年03月号 |
大逆事件再審棄却 |
山田清三郎 |
<発言 |
1966年03月号 |
朝風――「自画像」第二部(4) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年03月号 |
日本のなかの朝鮮人(4) |
張 斗植 |
小説 |
1966年03月号 |
平等は平和の原則――解放随想(3) |
住井すゑ |
<エッセイ |
1966年03月号 |
労務管理アンケート・その他 |
小柳時男 |
<発言 |
1966年04月号 |
「おりん口伝」の方法(文芸時評) |
北村 耕 |
評論<文芸時評 |
1966年04月号 |
コカ・コーラの海のなかで |
中村新太郎 |
<発言 |
1966年04月号 |
遠いレイテの海 |
窪田 精 |
小説 |
1966年04月号 |
海、鳴りやまず |
伊東 信 |
<ルポ |
1966年04月号 |
宮本百合子没後十五周年記念講演会 |
民主文学編集部 |
<記事<ミヤモト ユリコ<没後15年 |
1966年04月号 |
作品における思想性と芸術性――奥野正男の作品をめぐって |
山田新市 |
評論<オクノ マサオ |
1966年04月号 |
主題と方法(サークル誌評) |
山 武比古・松田解子 |
評論<誌評 |
1966年04月号 |
集中豪雨 |
三国洋子 |
小説 |
1966年04月号 |
書評 『松川運動全史』――人民がかいた叙事詩 |
松田解子 |
評論<書評<松川事件 |
1966年04月号 |
傷 |
足柄定之 |
小説 |
1966年04月号 |
傷跡 |
嶋 津与志 |
小説 |
1966年04月号 |
植民地化と民族語 |
石川 湧 |
<発言 |
1966年04月号 |
人間変革の新しい局面――秋田の農村から |
鈴木 清 |
<エッセイ |
1966年04月号 |
大江健三郎試論 |
後藤 直 |
評論<オオエ ケンザブロウ |
1966年04月号 |
中学生の指紋「供出」 |
柏崎知哉 |
<発言 |
1966年04月号 |
朝風――「自画像」第二部(5) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年04月号 |
電車のなかの話 |
土井大助 |
<詩 |
1966年04月号 |
日本のなかの朝鮮人(5) |
張 斗植 |
小説 |
1966年04月号 |
農婦と戦争 |
津川武一 |
<発言 |
1966年04月号 |
苗代川 |
金 達寿 |
小説 |
1966年04月号 |
文学における個人主義評価の問題――西田勝にこたえる |
津田 孝 |
評論<ニシダ マサル<評価の基準<文学論争 |
1966年04月号 |
流れに抗する作家――阿部知二の世界 |
飯野 博 |
評論<アベ トモジ |
1966年05月号 |
「芸術の真実」としてのフィクション |
赤城 毅 |
評論<文学大衆化論<虚構論 |
1966年05月号 |
おん柱祭り |
早船ちよ |
小説 |
1966年05月号 |
ジョン・ブラック遺文 |
平迫省吾 |
小説 |
1966年05月号 |
そこゆれ――「自画像」第三章(6) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年05月号 |
テーマの具象化の問題(文芸時評) |
田村 栄 |
評論<文芸時評 |
1966年05月号 |
ハルマゲドン |
神谷量平 |
<発言 |
1966年05月号 |
蛙の子は蛙 |
白石 凡 |
<発言 |
1966年05月号 |
革命的な大衆文学をめざして |
早乙女勝元 |
評論<文学大衆化論 |
1966年05月号 |
記録からの上昇(サークル誌評) |
松田解子・木谷則夫 |
評論<誌評 |
1966年05月号 |
強烈に生きた文学を |
山岸一章 |
評論<文学大衆化論 |
1966年05月号 |
芸術大衆化の今日的課題 |
菅井幸雄 |
評論<文学大衆化論 |
1966年05月号 |
座談会=展開期に立って――創作方法の問題をめぐって |
伊東 信・後藤 彰・円乗淳一・奥野正男・飯野 博 |
評論<文学方法論<創作方法論<座談会 |
1966年05月号 |
最後の文盲 |
鄭 貴文 |
小説 |
1966年05月号 |
書評 蔵原惟人『革命と文化運動』――思想・文化のたたかいのあと |
塩田庄兵衛 |
評論<書評<クラハラ コレヒト |
1966年05月号 |
書評 張 斗植『ある在日朝鮮人の記録』――苦闘と成長の記録 |
飯野 博 |
評論<書評<チョウ トショク |
1966年05月号 |
世界感覚と身近な歴史像 |
西野辰吉 |
<発言 |
1966年05月号 |
静かな胎動――日立武蔵工場から |
小村一平 |
<ルポ |
1966年05月号 |
日本のなかの朝鮮人(6) |
張 斗植 |
小説 |
1966年05月号 |
能動的なテーマとして |
中里喜昭 |
評論<文学大衆化論 |
1966年05月号 |
文学大衆化の問題によせて |
江馬 修 |
評論<文学大衆化論 |
1966年05月号 |
矛盾の勉強 |
亀井勝一郎 |
<発言 |
1966年05月号 |
怜子さんのこと |
佐藤光良 |
小説 |
1966年05月号 |
歴史と私 |
道家忠道 |
<発言 |
1966年05月号 |
歴史劇ということ |
津上 忠 |
<発言 |
1966年06月号 |
「男の子を生みたい」 |
上杉正一郎 |
エッセイ |
1966年06月号 |
そこゆれ――「自画像」第三章(7) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年06月号 |
ならびが岡と「ままこ算」 |
タカクラ・テル |
エッセイ |
1966年06月号 |
ふくれあがった「週報」――ふくれあがった『週報』 |
渡辺順三 |
エッセイ |
1966年06月号 |
もう二度と軍歌なぞ歌うまい |
横山正彦 |
エッセイ |
1966年06月号 |
ルポルタージュの方法 |
鹿地 亘 |
評論・文学方法論・創作方法論 |
1966年06月号 |
ロンドンの街かどで |
渡部 昌 |
エッセイ |
1966年06月号 |
安保段階の新しい展開 |
西野辰吉 |
評論・文学運動論 |
1966年06月号 |
奇妙な世界 |
小原 元 |
エッセイ |
1966年06月号 |
宮本百合子を中心として |
佐藤静夫 |
評論・ミヤモト ユリコ・文学方法論・創作方法論 |
1966年06月号 |
克服すべきいくつかの課題(サークル誌評) |
木谷則夫・上原 真 |
評論・誌評 |
1966年06月号 |
告発 |
佐々木一夫 |
小説 |
1966年06月号 |
在日朝鮮人の民族教育は完全に保障されなければならない |
日本民主主義文学同盟幹事会 |
声明 |
1966年06月号 |
思想と行動の隙間 |
池田みち子 |
エッセイ |
1966年06月号 |
主観主義の克服のために――一九五〇年代前期の体験から |
霜多正次 |
評論・文学方法論・創作方法論 |
1966年06月号 |
書評 ウスマン『神の森の木々』――アメリカ鉄道労働者のストライキを描く |
中本たか子 |
評論・書評・ウスマン |
1966年06月号 |
書評 鄭貴文『民族の歌』――民族と人間の回復 |
永見 恵 |
評論・書評・テイ キブン |
1966年06月号 |
赤い腕章 |
長船 繁 |
小説 |
1966年06月号 |
途上 |
矢作勝美 |
小説 |
1966年06月号 |
日本のなかの朝鮮人(7) |
張 斗植 |
小説 |
1966年06月号 |
破約 |
真枝統一 |
小説 |
1966年06月号 |
流されるものと抗うもの(文芸時評) |
飯野 博 |
評論・文芸時評 |
1966年07月号 |
「日常性」の垢を洗い落せ(文芸時評) |
飯野 博 |
評論<文芸時評 |
1966年07月号 |
『芸術書簡』をめぐって |
松本正雄 |
評論<クラハラ コレヒト |
1966年07月号 |
いわゆる「映画の危機」について |
若杉光夫 |
<エッセイ |
1966年07月号 |
シャルダンの背中 |
永井 潔 |
小説 |
1966年07月号 |
そこゆれ――「自画像」第三章(8) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年07月号 |
ブーヒェンヴァルトの強制収容所 |
舟木重信 |
<エッセイ |
1966年07月号 |
ホー小父さんの詩 |
桜田常久 |
<エッセイ |
1966年07月号 |
やせ地 |
たかせ・とよじ |
小説 |
1966年07月号 |
現実を見すえる姿勢(サークル誌評) |
木谷則夫・上原 真 |
評論<誌評 |
1966年07月号 |
構造的リアリズムをめぐって |
篠原 茂 |
評論<批評の基準<文学論争<リアリズム論 |
1966年07月号 |
四月の風 |
工藤静子 |
小説 |
1966年07月号 |
修身 |
山岸一章 |
小説 |
1966年07月号 |
書評 西口克己『新幹線』――珍しい政治社会小説 |
北條元一 |
評論<書評<ニシグチ カツミ |
1966年07月号 |
書評 津田孝『民主主義文学論』――変革めざす情熱 |
円乗淳一 |
評論<書評<ツダ タカシ |
1966年07月号 |
職業病 |
牧村 浩 |
<ルポ |
1966年07月号 |
新井紀一を憶う |
手塚英孝 |
<エッセイ<アライ キイチ |
1966年07月号 |
切腹しち |
大垣 肇 |
<エッセイ |
1966年07月号 |
題材主義と主観主義の克服 |
佐藤静夫 |
評論<批評の基準<文学論争 |
1966年07月号 |
啄木の日記云々 |
赤木さかえ |
<エッセイ |
1966年07月号 |
二つの側面について |
壺井繁治 |
<エッセイ |
1966年07月号 |
日本のなかの朝鮮人(8) |
張 斗植 |
小説 |
1966年07月号 |
批評の基準についての提案――奥野正男の作品とそれにたいする批評を中心に |
津田 孝 |
評論<オクノ マサオ<批評の基準<文学論争 |
1966年07月号 |
老人日記 |
石川冬子 |
小説 |
1966年08月号 |
「かんじき」での経験 |
石黒三沙子 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
「こぶしの会」を中心に |
瀬田 純 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
「天草民主文学」の経験 |
鶴田文史 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
「民主文学」編集委員会報告 |
佐藤静夫 |
<報告 |
1966年08月号 |
「明治百年」か、「維新百年」か。 |
大江志乃夫 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
そこゆれ――「自画像」第三章(9) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年08月号 |
なぜ作品が書けないか |
入江良信 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
ネズミ穴 |
木谷則夫 |
小説 |
1966年08月号 |
ペラ・アターシェワのこと |
山田和夫 |
<エッセイ<映画評 |
1966年08月号 |
会議の総括――幹事会 |
西野辰吉 |
<報告 |
1966年08月号 |
館陶事件 |
来栖良夫 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
教育問題特集など(サークル誌評) |
上原 真・大滝十二郎 |
評論<誌評 |
1966年08月号 |
主観におぼれた危険な作風 |
佐々木一夫 |
評論<文学方法論<創作方法論 |
1966年08月号 |
首相、鎌倉ヘ |
あべよしお |
小説 |
1966年08月号 |
準同盟員だけの支部活動 |
平腰美智子 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
書評 佐藤静夫『戦後文学の方法』――課題への考察 |
飯野 博 |
評論<書評<サトウ シズオ |
1966年08月号 |
書評 中島健蔵『自画像』第一巻――戦闘的知識人の自伝小説 |
西野辰吉 |
評論<書評<ナカジマ ケンゾウ |
1966年08月号 |
小選挙区制に反対する |
日本民主主義文学同盟幹事会 |
<声明<小選挙区制 |
1966年08月号 |
焦点 |
大沢幹夫 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
職場の中の支部活動と共同ルポ |
前川史郎 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
青森岩手できいた話 |
由紀しげ子 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
仙台での文学統一組織をめざして |
矢内 昇 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
創造活動を中心に |
増田 勝 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
多様なサークル活動を通じて |
長船 繁 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
大阪民文協と同盟支部 |
木津 治 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
地方都市での支部活動 |
作間雄二 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
東京磁石 |
松田解子 |
<ルポ |
1966年08月号 |
日本のなかの朝鮮人(9) |
張 斗植 |
小説 |
1966年08月号 |
農村地区での創造運動 |
赤城 毅 |
<エッセイ |
1966年08月号 |
波紋 |
霜多正次 |
小説 |
1966年08月号 |
被爆者の苦しみを思う |
田沼 肇 |
エッセイ |
1966年08月号 |
文学と指導者意識について――全国支部代表者会議での討論 |
金 達寿 |
報告 |
1966年08月号 |
文学同盟と支部の問題――全国支部代表者会議・幹事会報告 |
窪田 精 |
評論・文学同盟・報告 |
1966年08月号 |
未来がない |
こばやし・ひろし |
エッセイ |
1966年08月号 |
両輪をすすめるために――全国支部代表者会議の印象 |
伊東 信 |
評論・創造と批評 |
1966年09月号 |
「大学自治」の問題点 |
暉峻衆三 |
エッセイ |
1966年09月号 |
「播州平野」と戦後民主主義文学の出発 |
小原 元 |
評論 |
1966年09月号 |
「批評の基準」論議の発展のために――津田孝の「批評の基準」への私見その他 |
田村 栄 |
評論 |
1966年09月号 |
ある労働者の手帖 |
北林谷栄 |
エッセイ |
1966年09月号 |
ウソ |
伊藤逸平 |
エッセイ |
1966年09月号 |
そこゆれ――「自画像」第三章(10) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年09月号 |
劇中の坂本龍馬 |
坂本徳松 |
エッセイ |
1966年09月号 |
私の「街の岩場」 |
新井鑛一郎 |
エッセイ |
1966年09月号 |
失格天使 |
円乗淳一 |
小説 |
1966年09月号 |
書評 窪田精『スクランブル』――「スクランブル」雑感 |
住井すゑ |
評論 |
1966年09月号 |
書評 松田解子『おりん口伝』――「おりん口伝」覚え書 |
早船ちよ |
評論 |
1966年09月号 |
書評 西野辰吉『東方の人』――「東方の人」読後感 |
松島榮一 |
評論 |
1966年09月号 |
小林多喜二碑の建設を終えて |
浜林正夫 |
エッセイ |
1966年09月号 |
人間の奇形――アメリカ核戦略体制下のABCC |
深川宗俊 |
ルポ |
1966年09月号 |
人間性一般論への解消(文芸時評) |
赤城 毅 |
評論 |
1966年09月号 |
台風圏 |
嶋 津与志 |
小説 |
1966年09月号 |
日常の詩 |
安藤希郎 |
小説 |
1966年09月号 |
日本のなかの朝鮮人(10) |
張 斗植 |
小説 |
1966年09月号 |
武夫とたかし |
南 耕 |
小説 |
1966年09月号 |
連帯感の表現(サークル誌評) |
永見 恵・山村一郎 |
評論 |
1966年10月号 |
「仲間意識」ということ(サークル誌評) |
永見 恵・山村一郎 |
評論・誌評 |
1966年10月号 |
アジア・アフリカ作家緊急会議コミュニケ |
アジア・アフリカ作家緊急会議 |
評論・資料・コミュニケ |
1966年10月号 |
コカ・コーラと巨大百貨店 |
除村吉太郎 |
エッセイ |
1966年10月号 |
そこゆれ――「自画像」第三章(11) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年10月号 |
ベトナム支援AA作家緊急会議に出席して |
霜多正次 |
エッセイ |
1966年10月号 |
ベトナム民主共和国代表団団長報告 |
スオン・チュウン |
評論・報告 |
1966年10月号 |
楽観・悲観・楽観 |
阿部知二 |
エッセイ |
1966年10月号 |
建国記念日のこと |
宮川寅雄 |
エッセイ |
1966年10月号 |
現代のリアリティ(文芸時評) |
赤城 毅 |
評論・文芸時評 |
1966年10月号 |
子ども川柳 |
菅 忠道 |
エッセイ |
1966年10月号 |
書評 ゴック『不敗の村』――少数民族の抗仏戦 |
澤田章子 |
評論・書評・ゴック |
1966年10月号 |
書評 蔵原惟人『マルクス・レーニン主義の文化論』――基本問題の解明 |
村山知義 |
評論・書評・クラハラ コレヒト |
1966年10月号 |
書評 中島健蔵『現代文化論』――一つの力強い立場 |
道家忠道 |
評論・書評・ナカジマ ケンゾウ |
1966年10月号 |
青春群像――ある団結の記録(1) |
西口克己 |
小説 |
1966年10月号 |
戦争体験の文学化――梅崎春生の「桜島」 |
飯野 博 |
評論・ウメザキ ハルオ |
1966年10月号 |
昼の顔と夜の顔 |
西野辰吉 |
小説 |
1966年10月号 |
釘泥棒 |
もり・あらた |
小説 |
1966年10月号 |
南ベトナム解放作家芸術家協会代表団団長報告 |
チャンディン・パン |
評論・報告 |
1966年10月号 |
日本のなかの朝鮮人(11) |
張 斗植 |
小説 |
1966年10月号 |
日本代表団団長報告 |
白石 凡 |
評論・報告 |
1966年10月号 |
文学における戦後転向とはなにか――「憂鬱なる党派」と「光る声」 |
篠原 茂 |
評論・タカハシ カズミ・マツグ ノブヒコ |
1966年11月号 |
「静かなる山々」論 |
津田 孝 |
評論・トクナガ スナオ・プロレタリア文学作品論 |
1966年11月号 |
ある労働者作曲家の生涯 |
村山知義・山崎欣太・稲垣 純 |
戯曲 |
1966年11月号 |
エゾヌキ |
吉井 忠 |
エッセイ |
1966年11月号 |
そこゆれ――「自画像」第三章(12) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年11月号 |
ふくろう |
竹本賢三 |
小説 |
1966年11月号 |
まことに奇妙な取り合せ |
南部僑一郎 |
エッセイ |
1966年11月号 |
広島に渦まく――第十二回原水禁世界大会広島本会議に参加して |
伊東 信 |
ルポ・集会・原水禁・被爆・核廃絶・反核・平和運動 |
1966年11月号 |
社長と呼ばれる男 |
鄭 貴文 |
小説 |
1966年11月号 |
主題と題材――窪田精「スクランブル」にふれて |
佐藤静夫 |
評論・クボタ セイ・民主主義文学作品論 |
1966年11月号 |
主題と方法(文芸時評) |
篠原 茂 |
評論・文芸時評 |
1966年11月号 |
心のふるさと |
柳田謙十郎 |
エッセイ |
1966年11月号 |
青春群像――ある団結の記録(2) |
西口克己 |
小説 |
1966年11月号 |
多様さとひとつの傾向(サークル誌評) |
永見 恵・金子総一 |
評論・誌評 |
1966年11月号 |
日本のなかの朝鮮人(12) |
張 斗植 |
小説 |
1966年11月号 |
文学に現われた「家庭の危機」 |
矢作勝美 |
評論・家族家庭論 |
1966年12月号 |
“10・21スト”を支持し、全力をあげてたたかおう |
日本民主主義文学同盟常任幹事会 |
声明 |
1966年12月号 |
そこゆれ――「自画像」第三章(13) |
中島健蔵 |
小説 |
1966年12月号 |
ボリショイ劇場 |
半田義之 |
小説 |
1966年12月号 |
丸山定夫の碑 |
永田 靖 |
エッセイ |
1966年12月号 |
現代文学状況の一局面――戦後派と第三の新人(文芸時評) |
篠原 茂 |
評論 |
1966年12月号 |
孤帆狂乱 |
金親 清 |
小説 |
1966年12月号 |
荒廃の根源はなにか――新日本文学会の問題 |
北村 耕 |
評論 |
1966年12月号 |
作家同盟最後の事務所 |
河野さくら |
エッセイ |
1966年12月号 |
残暑放言 |
服部 学 |
エッセイ |
1966年12月号 |
書評 ネルソン『義勇兵』――アメリカ労働者の闘魂 |
あべよしお |
評論 |
1966年12月号 |
書評 江口換『たたかいの作家同盟記』(上)――激動期を生きた情熱 |
手塚英孝 |
評論 |
1966年12月号 |
水害のエピソード |
石川冬子 |
小説 |
1966年12月号 |
青春群像――ある団結の記録(3) |
西口克己 |
小説 |
1966年12月号 |
読みごたえあるいくつかの作品(サークル誌評) |
金子総一・小林栄子 |
評論 |
1966年12月号 |
日本のなかの朝鮮人(13) |
張 斗植 |
小説 |
1966年12月号 |
批評における現実認識の問題 |
中里喜昭 |
評論 |
1966年12月号 |
労働者文学の新しい胎動――窪田精「フィンカム」 |
霜多正次 |
評論 |
1966年12月号 |
六月の工作者 |
平迫省吾 |
小説 |